|
人気ブログランキングに参加中! 1日1回クリック御願いします。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 人気blogランキングへ ありがとうございました。 時田工務店ホームページも覗いてみて下さい。 (株)時田工務店HP そして 弊社現場ブログもよろしくお願いします。 現場ブログ 人間ドッグ篇 最新のコメント
カテゴリ
以前の記事
2012年 02月
2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 お気に入りブログ
検索
ファン
|
今日から2月である。我がブログの記事数が1314件、これが1315件と言う事を知った。思えば大変な数を書きなぐって来たものである。
畏友素竹氏が主催する1泊2日の俳句勉強会の合宿では、10回の句会が催され、1句会に10句提出と言う。2日で100句、これは想像を絶する数であり、我が埒外である。 娘 真緒の誕生日が2月3日の節分であった事から、以来、年賀状の代わりに節分状を出している。この枚数約600枚。本文は印刷ながら宛名は、悪筆極まりない手書きで御容赦を頂いている。頂いた年賀状を拝読し、住所の確認をしながら変更があれば我がアドレス帳を修正するという作業に結構手間が掛かり、今も奮闘中である。やっと3分の1が終ったところ、まだまだ先が長い。必ず最後には、徹夜という事態になってしまうのだが、今年はどうだろう。頑張らねば、と思うのである。 成田山新勝寺の参拝は、昔から 「しょうごくう」 と言われて我が家に伝えられている。「しょうごくう」とは、正月、5月、9月、年3回のお参りと言う意味である。思えば祖父の時代から父へ、そして今日へと引き継がれている。御不動様の縁日は毎月28日だそうで、この28日まで松飾りは残されていたと言う。昨日はすでに松は無く、節分の準備が進んでいた。新勝寺は巨大な宗教組織で、僧侶とともに組織を支える多くのスタッフが居る。我々に対しては、毎回決まった接遇係が御対応下さる。護摩の受付から、接待、護摩札の引渡しまで信徒係のT氏が担当なのだが、氏と久し振りにお話をさせて頂いた。どこも、どんな組織も同じ問題を抱えているのだなあ、と思いながら話をお聞きしたのだが、古い伝統を重んじるこのお寺も、バックアップシステムが充分に対応し切れず組織の維持を含めて大変である、と言う。特に1月は、スタッフ全員、体調を崩す程に、繁忙を極めると言うのである。「29日の日曜まで、本堂に上がれない程の人手、道路も渋滞で大変でした。本当に、今日で良かったのでは無いですか・・。」 との話に、1月どうにか遣り繰りが付いたものの遅参に後ろめたさを感じていた私達も、いささかの安堵を覚えたのである。 実は初めて、一般道を走って成田を往復した。通常私は、羽生インターから東北道に乗り、首都高、湾岸、東関東自動車道を使って成田へ行くのだが、専務である弟は一般道の裏道を開拓し、3時間で会社から新勝寺まで行けると言う。そこで今回は、その道を教わりトライをした。ロードマップとカーナビと携帯電話を使いながら未知のルートをドライブである。何でこんな道をと思うほどの狭い道、農道、と開拓者の努力を察するに余りあるコースである。ナビを担当する妻は、もう2度と来ないと怒り出す程に、心細いドライブながら、生きは3時間20分、帰りは3時間8分でクリアーした。 本朝、改めてコースを弟と確認、必要な地図をコピーし、赤鉛筆でルートを書き込んだ。これで万全である。高速道を使っての時間と大差が無い。美しい利根川、静かな房総半島の集落と、高速道には無い趣がある風景も嬉しい。 次回は、もう少しドライブそのものを楽しみたいと思うのである。
今年初の銀遊句会が、昨夜銀座で開催された。兼題は「旅」、座主は翌檜さんである。朝日俳壇賞受章後初の銀遊句会でもあり、いささか力んでの参加であったが、何時もと変わり無く、うな垂れる他無い結果に終わってしまった。
主席は、7点獲得の逮歩さん、次席は5点獲得の、これも逮歩さん。3席4点獲得の草子さんという結果になった。逮歩さんは3句提出13点獲得、草子さんは4句提出8点と、今回も逮歩さんの一人勝ちである。ちなみに私幻椏は、4句提出7点と票が分散してしまった。 飛び切りの旅の余韻と日向ぼこ 荒星やその長き旅凛として 逮歩 睦月尽つじつまの合はぬ旅をする 草子 冬の蝶ちょっとそこまでの不帰の旅 黙去子 市場(マルシェ)にて林檎さくっと一人旅 典女 寒波すら愉快に変換若者の旅 翌檜 サンセット喝采ワイキキ冬の旅 丹水 比良暮るる朋と旅寝の魦(いさざ)船 孫歩 我が街は寥落の寒天旅を恋ふ 幻椏 主席、次席に贈られる座主さんからの賞品は、逮歩さんが独占を御遠慮下さり、3席の草子さんに贈られた。羨ましい限りである。 今回、問題になったのが、実は草子さんの 「睦月尽」 をめぐってのやり取りであった。私も良い句と思いながらも「睦月尽」の表記が気になり、取る事を控えた。黙去子さんが主席、逮歩さんが次席で御取りになっていた。歌人の草子さんのお話では、短歌では月の後ろに尽を付ける事は、極普通に許されていると言う。 改めて我が季語集を覗いて見ると、角川の 合本俳句歳時記 には、「三月尽」、そしてこれの傍題として「弥生尽」 「四月尽」が、「六月」の傍題として「六月尽」、そして「九月尽」が季語として掲載されていた。また金子兜太編 現代俳句歳時記 には角川の歳時記に加えて「五月」 「八月」 の傍題として「五月尽」 「八月尽」が出ていた。稲畑汀子編 ホトトギス新歳時記 には、尽の付くものは一つも見当たらなかった。 本来、春から夏へ、そして秋から冬への移ろう季節を「尽」を使って鮮明に季感を掬い上げる季語としてあるものであるから、旧暦と太陽暦とのずれを補うために金子兜太編では 3、4、5、6、8、9月まで広げていると思われる。とは言え、月の終りの晦日の意味で尽を使う事は、意識と注意が必要になるだろう、と改めて思うのである。黙去子さんの仰るように、それを知っていても「睦月尽」と言う語は魅力的である、と私も思うのだが、どうだろう。 銀遊句会は、この上無く楽しい会ながら、結構真剣な議論も飛び交うのである。私を掬い上げ、育ててくれた銀遊句会の皆様に、改めて感謝の日であった。
昨日、友人に会いに東京に出るため熊谷駅で電車に乗り込んだ折に 「おめでとう御座います、朝日俳壇賞」 と存じ上げない御婦人から声を掛けられた。いささか逡巡する私の態度を見てか、ありがたくも自己紹介をして下さった。聞けば妻の友人で、私も名を知る人であるから失礼したものである。とは言え、只々吃驚した。私にとっては極めて大きな朝日俳壇賞受賞ではあるが、社会の事象に比すれば些細な事である。想定を超える我が事件であったが、全く存じ上げない方でなくて良かった。名を聞けば知る人で無かったら、東京まで動揺は収まらずいたに違いない。
良く知る宗教家の方とお話をする機会を頂いた。人類の危機は3000年周期で訪れると言う事が、教祖の言葉として残っていると言うのである。そして今がその3000年の周期を迎えていると言う。何がどうなのか私は理解出来ないが、3000年と言う数字に驚きもし感じるものがあった。 日本で言えば、3000年前も6000年、9000年前も縄文時代と呼ばれている。古代ギリシャ、そして中国では孔子以前の3000年の歴史である。歴史を知らない私は、今日を3000年周期の危機にあると言う理解、もっと曖昧であるからそう感じる感性に意味が有りそうに思えたのである。1000年に1度の未曾有の出来事が3回も含まれ、1000年に1度と認識する脅威の3倍が今の現実を襲っているとするならば、その事実に抗う事は出来ない。極めて不謹慎な言い方をすれば、その3000年周期の今日に生きている事実は、幸運な程に凄い事なのかも知れない、と思うのである。極めて厳しい時代の様々に起こる事象全てを、受け入れ寄り添わなくてはならない、諦観としてでは無く、もっと優しく時代を受け入れるとでも言おうか、論理を超えて3000年と言う数字に不思議な力を感じたのである。
セロトニンは、ノルアドレナリンやドーパミンの暴走を抑え、心のバランスを整えるホルモンの一つである。脳内の神経伝達物質のひとつで、必須アミノ酸であるトリプトファンの代謝過程で、脳の中にある「ほうせん核」で生成されるもの、と言う。ドーパミンは喜び・快楽、ノルアドレナリンは恐れ・驚きなどの情報をコントロールしてくれる物質である。セロトニンが不足すると感情にブレーキがかかりにくくなり、ストレスを強く感じたり、うつ病になりやすい、と言われている。
セロトニントランスポーター遺伝子には長短2種類あり、長い方が有効で人種によってその割合が異なり、黄色人を1とすると、白人が1.5倍、黒人が2倍と言う。遺伝子レベルで言えば黄色人種は情緒不安定、短気な人種なのだろう。本来、「和をもって尊し」 と言わなければ成らないほどに、協調性が無かったのかも知れない。島国と言う地理的条件と、和と言う文化の獲得形質が、歴史を重ねる事で日本民族を作って来たに違いない。 今日、国民国家主義を脅かすグローバリズムが民族の持つ獲得形質に揺さぶりを掛けている。総じて、3・11が国民性を思い起こし再度強化する契機に成った事は事実であるが、私自身の日常に於いて、セロトニン不足を感じて成らない。 こんな時インターネットの情報は有りがたいもので、セロトニンを増やすには、首回し、ホットミルクウィズハニー、アロマセラピー特にラベンダーが有効、ウォーキング・リズミカルな運動 が効果的であると言う。 今、くるくると首を回してみた。私の於かれた厳しい状況はしばらく現状のままであろうから、セロトニンを増やすために早速全ての事を試して見様と思うのである。
昨年の震災後、計画停電や節電で、当たり前に思う日常が脆いシステムの上に構築されたものである事を思い知らされた。この上なく快適で便利な生活も、例えば電気が無ければ何も機能しない。便利は、不便なのである。
昨日、携帯電話を忘れて東京に出てしまった。電池切れを恐れて意識して早めの充電をしたのだが、出かける際の慌しさにすっかり放念してしまった。熊谷駅に入り、人身事故による列車の遅れを知った時、携帯を忘れた事に気付いた。待ち合わせの時間に間に合わないかも知れないが、連絡の術も無い。バックには未使用のテレホンカードが何枚も入っているが、公衆電話が無い。実のところ、公衆電話があっても先方の電話番号を記憶していないし、メモも持っていない。全て携帯のメモリー任せなのだから、情況の改善は出来ないと言う事である。腹を決めて、遅刻の失礼を詫びるきり無いのだが、酷く動揺している私自身を感じていた。携帯を持つようになってから時計も持っていない。我がネットワーク・ツールのセンターに携帯が居座っているのである。幸運に、大きな支障も無く用事を済ます事は出来たが、便利な時代の不便をしみじみと感じたのである。 帰って我が携帯を確認すると、多くのメール、伝言が入っていた。不携帯と言うミスを超えて、反応の無い携帯には、不信と不満を抱くものである。苛立つ時代なのである。
1月19日の荒川塾は、恒例の句会である。 句会終了時に降り出した雨は、今朝雪に変わり、8時を過ぎて積もり出している。思えば11月11日以来のお湿りでもあり、白く降り積もる雪を嬉しく眺めている。
1998年にスタートした荒川塾句会は、15年目を迎えた。今年は、不在投稿を含め17名の参加を頂いている。年に一度とは言え俳句への意識は高く、塾生諸君は、佳句を揃えての御投句である。何時ものように私が書記を担当、半紙半分の大きさに1句づつ書かせて頂き、それを料理屋の長押に張り出して、選句をする。悪筆ながら各句への私の思いが重なり、表記された句は別の味わいが出る、と塾生諸君からは、概ね好評を頂いている。お世辞半分と承知をしながらも、嬉しい限りである。 主席は如南さん、投句した全てに高得点を獲得、その才能に一同驚嘆する。次席は、高崎市から参加下さったゲストのさくらさん、流石に素竹門下の俊英である。同じく次席に第1回荒川塾句会の主席を御取りになった空宇海さん、俳句へのチャレンジ精神を私も学ばなくては成らない。以下、第15回・荒川塾句会の成果である。 鮟鱇の孤独は黒き雨に濡れ 如南 裸木として無記名になる自由 さくら 樹々 仰ぎ言霊高く空 空宇海 冬枯野一筋の明南向く 銀朗 青春の熱涙冬凪に輝る 廉蛾 孫きてうれしかえってうれし三日かな 浄花 忘却の叶わぬ年や除夜の鐘 舞蛉 母のゐる故郷へ帰る春がくる 信太郎 寒くても水気がなくては立たぬ霜 克柱 合同葬済んだと鮑の便り来る 景快 一筋の雲の行方や富士を刺す まりも 海老ごまめ数の子ちょろぎ昆布巻 泰弥 ゴロゴロと猫咽鳴らし寒朝寝 桜遥 主人無き庭でほころぶ梅の花 亨才 影伸びて苅田を超えて背比べ 悠丹 ぱらぱらとこの身に落つる時雨かな 楽富 散り果てて樹下よりの空陽は樹下に 幻椏 年に1度、この数日を俳句作りに励み苦悩する塾生諸君であると言う。なのに、皆さん素晴らしい句をお詠みになる。1年間、様々に学び競い合う荒川塾の時間空間が佳句を生むのであろうか。彼らと学べる我が情況のなんと幸いな事か、ありがたい限りである。 例会の最後に荒川塾を代表して横田塾長から、朝日俳壇賞受章のお祝いに大きな花束を頂いた。大いに触発を頂き、まだまだ学ばねばと痛切に感じながらも、嬉しく花束を頂いた。 ありがとう御座いました。心から御礼申し上げます。 今回も荒川塾は、句会を大いに楽しみ、盛り上がったのである。
本日、航空自衛隊熊谷基地就職援護室の御好意により、入間基地見学会に御案内を頂いた。
現在の入間基地司令は、元熊谷の基地司令をなされていた國分雅宏空将補であり、17日会を通して御厚誼を頂いていた。今回の見学会も基地司令の特別な御配慮で、中島会長を筆頭に17日会メンバーも大勢参加させて頂いたのである。入間基地は隊員4300余名を抱える、国内最大級の航空自衛隊基地の一つと言う。隊員訓練の様子や、航空機の離発着訓練の様子、輸送機にも搭乗させて頂き、コクピットに座らせても頂いた。 マニヤにとっては大変感動的な事なのだろうが、私も得難い体験をさせて頂いた。恥ずかしながら、操縦席に座る写真は、これが最初で最後であろうから掲載させて頂く事にする。パイロットは、超エリートと言う。極めてクレバーな方が厳選をされて就く職と言うが、コクピットの計器の数に圧倒され、私には無理だと素直に納得をした。通常、中々無い事だと担当官の方からお話を頂いたが、基地司令を囲んでの昼食会を開催下さった。その折親しくお話を頂き、東日本大震災の救援活動の活躍振りも詳しく聞く事が出来た。陸上自衛隊の活躍は広くメディアに広報されているが、航空自衛隊も専用ヘリコプターを使って3443名の救助を果たした、と言う。救援の際、被災者は極めて冷静沈着でパニックは起こらず、弱者から救助を優先させるという姿に 「日本人の持つ崇高な国民性」 を感じたと、救助に当たった隊員から司令に感動の報告が有ったと言う。この倫理観は日本人だからか、東北人だからこそなのか、改めて凄い事だと思う。正しくその様子を広報出来なかった航空自衛隊のプレゼンテーション能力の欠如も、感じたと言う。自衛隊の中でも、それぞれの歴史と組織を抱える 陸・海・空 の拮抗が垣間見えて面白く話を聞かせて頂きもした。 北朝鮮問題も含め、日々緊張して国防の任に当たっている航空自衛隊の御苦労を垣間見た。短い時間ながら、貴重な見聞の機会を頂いた事に、感謝である。
昨夜、市内ホテルで17日会会員で副会長をお勤め頂いている浅賀正一氏の「叙勲を祝う会」が開催された。昨秋の叙勲で 「瑞宝雙光章」 の栄に浴されている。
氏を祝う会の御案内を頂き、丁度17日でもあり、17日会会員も祝賀の席にお声掛けさせて頂く事をお願いした。多くの方が御参集下さり、通常例会以上の15名のメンバーが御参加下さった。都合で参加できない方々からも、お祝いのメッセージが沢山に届いた。浅賀氏のお人柄である。 浅賀氏は、平成8年から熊谷警察署長をお勤めになり、地域の安心・安全に御尽力を頂いた。私達も現役署長の時代から御交際頂き、熊谷を離れた後も変わらぬ御厚誼を頂いて来た。そんなお人柄を慕い、小島敏男先生を発起人代表として、富岡熊谷市長を筆頭に多士済々、面白い方々が一同に会する異色の祝賀会と成ったのである。会議所、法人会、業界関連等、多くの会合に出席をさせて頂くが、顔ぶれはあまり変わらない。一遍に遣って頂いたら、どんなに効率的かと、皆様思っていらっしゃる様だが、昨夜は、新鮮な顔ぶれであった。和気藹々と署長の御慶事をお祝いしたのである。 土性っ骨不動の風骨寒に立つ 幻椏 俳句は、挨拶であると言う。御祝辞を述べさせて頂いた最後に、即吟のお祝いの句を御披露した。「どしょっぽねふどうのふうこつかんにたつ」 2度程読み上げたのだが、音だけではなかなか受け取りにくかったかも知れない。が、私は良い祝いの句が出来たと一人、密かに満足している。
初夢や夢の中まで綺麗寂 幻椏
私の、綺麗事で済ませたいと言う生き様・態度を、叱責される方が居る。御本人は無学無能と仰るが、私の本心を見抜く、透徹した眼力を持つ方である。 以前から、「綺麗事で何が悪い・・」 と開き直っていた。実は現在でもなのだが、綺麗事で済ませたい、と言う強い意図こそ、自分のずるさ汚さを知っていると言う事である。そのために、充分配慮しながら自身を構築してきたのだが、そこに綻びが出ている、と言う指摘に他ならない。それを思うと酷く動揺して、落ち込んでしまう。すでに、こう言う反応こそ綺麗事と承知なのだが、価値の座標軸の混乱は、只々辛いばかりである。歳と共に社会的環境も関係性も変化してくる。その変化に対して柔軟な対応が出来なくなっているに違いない。こちらの意識は不変と思いながらも、いや、加齢と共に角も取れ綺麗事で済ませるには好都合なはずなのだが、そこに捨て置きがたい不遜が顔を出す。 綺麗事と同様に意識してきた我が生き方のキーワードとして 女々しさ がある。女々しさとは、男にとって最上の評価であると思って来た。男性が、おんなおんなしいと女性の持つ長所を強く抱え込む事こそ、宜しい事と思っていたのである。優しさとか謙虚さなど、女性の持つしなやかな感性を女々しさと言っていたのだが、今は老化と共に、優柔不断、愚図、甘えという言葉通りの体たらくを露呈している。綺麗事と悪しき女々しさの掛算であるから始末が悪い。その始末の悪さを認識もせず、綺麗事と女々しさを振る舞い続ける私の駄目さを指摘下さっているのである。救いがたい情況、と言わざるを得ない。
新年会の翌日、11日は、ISO9001の維持審査であった。我が社のISO取得は早く、またコンサルタントを頼らず独自にシステム構築をしたので、審査に抵抗は無いのだが、1999年2月に取得した関係で正月の審査になってしまうらしい。
この時期、年始の御挨拶に廻る事が一番に優先されるのが、オープニング・ミーティングに始まり、経営者ヒヤリング、クロージング・ミーティングと、一日会社を離れる事も出来ず気を揉んでいた。昨日は、県庁、建設関連の各種団体、県南のお客様を廻り、大方の年始は終了したもののまだ10件ほどの残りがある。明日は土曜日となると、少々来週にずれ込んでしまうかも知れない。15日までを松の内と考え、それまでに終わらせたかったのだが、申し訳ない限りである。 たくさんの方々に、朝日俳壇賞受章のお祝いメールやお手紙を頂いている。ありがたい限りで、新聞メディアの力を改めて感じているが、地域、日常世界は静かである。我がエリアで朝日新聞があまり読まれていないとう事と俳句の状況なのだが、この事も面白く受け止めている。
昨日、富岡熊谷市長、小林県議、野沢市議、砂川肇先生、森弘一先生をはじめとする我が社の顧問団、金融団等、多数の御来賓を御招きして、我が社と協力会・時和会共催による新年会を市内ホテルを会場に開催させて頂いた。
私は、国内外の情勢を踏まえ、極めて厳しい時代が続くと思われるが、「共助と賢慮」 をもって、コミュニティーコンストラクションの本文をわきまえ、「地域に暮らし・地球に生きる」 と言う理念を正しく地域に発信しながら、「信頼と満足」 「公正と更なる技術」 を目指すために社員・協力業者の旧倍の御協力をお願いした。また、建設業はコミュニティー創造産業であり、地域には欠くべからざる仕事を負うて居る事を確認し、正しく存在し続ける為に来賓各位に、一層の御指導御鞭撻を御願いもした。 権田酒造「都富酒」で乾杯し、和やかな新年を持つ事が出来た。この1年、私がどう振舞うかが問われている。ここに、「共助」と共に「賢慮」と言うキーワードを得た事は、幸いであった。頑張らねば、と念じている。
樹下に居て天思う音梅雨に入る 幻椏
朝日新聞社から12月12日の昼、お電話を頂いた。金子兜太選による朝日俳壇賞が、上記の句で内定を受けたとの知らせだった。にわかに信じがたく、明らかに私は状況に追いつけず居たのだが、後日100文字の原稿と顔写真の提出の依頼、1月9日の朝刊に掲載される旨のお話を頂いた。 「 2000年から投句を始めて丸12年、その間努めて1日1句、我が日常を詠んで参りました。この厳しい時代情況の中で、私が私としていられたのも俳句と言う最短詩形に出会えたからと、その幸運を感謝しております。」 始めを一段下げ、最後の丸が100字目に成る様に原稿を整え、写真も以前撮ったスナップの1枚を選んで送らせて頂いた。我が家族と極近くの友人に話はしたが、リアリティーの無いままに年が明け、忙しさの中で気を揉む事を少し忘れて今日の日を迎えた。娘と嫁は成人式の着付けとメーキャップの仕事の手伝いと、昨日は孫を置いて夜中に出て行ってしまったので、妻にとっては今日こそ今年初めてゆっくり出来る休日の朝である。目覚めながらも妻の動き出すのをベットの中で待って、何時もよりも少し遅い朝が始まった。急いで新聞を確認すると、朝日俳壇賞の発表があり、我が句と顔写真を確認した。喜び以上に安堵の気持ちで、夢でなかった事を嬉しく思ったのである。 金子先生の句評は、「ぐずぐず言わない。ゆっくりと腰をすえて、意を整えて。」 とある。 朝日俳壇には、年間30万句を超える投句が有ると言う。そのうちの1句に選ばれるとは、奇跡である。この幸運を今後の作句に繋げて行かなくてはと、重い責任と共に感じている。 ![]() 昨日、建築家・白江龍三氏とお会いし、新年の挨拶、仕事の打ち合わせの後上野の森美術館で開催されている 書貌と風貌 「野口白汀の字」 遺墨展を共に拝見した。 野口先生が急逝をなされて4年半、生前、事の他御厚誼を頂いていた。1998年7月29日~8月2日には、第6回幻椏祭のメイン・イヴェントとして 「書と居 2人展」 を新築して間の無い我が家に先生の書を展示すると言う企画展を開催させて頂いた。書き溜められた数百の書の中から展示作品を選択、展示形式などキュレーター機能一切を私が担当させて頂くと言う、信じられない程の緊張と高揚を頂いたのである。我が家族が生活をする居住空間を使っての展覧会であるから、時間の制限、展示場所の制限などを行いながらも、大勢の方々の御来場を頂き大層盛況であった。毎日新聞でも大きく取り上げられ、企画展としての高い評価を頂いた事を思い出す。 遺墨展の会場は、異様なエネルギーに満ちていた。白江氏も、書の力に打たれ多くの感動を得たと言う。写真に在る 「回」 「上」 の剛直な墨の塊の作品は、期せずして最晩年の作品に成ってしまったが、人の心を鷲掴見にして放さない。野口先生は松井如流門下であり、息子さんの野口岱観先生から頂いた如流作品集を改めて拝見をすると白汀先生は、この野太い墨の塊を以って、松井如流からのエスタブリッシュメントを試みた強い意思を感じるのである。会場で拝見し、1連のこの作品群をもって完全な独立を成しえたと、改めて実感させて頂いた。とは言え、76歳の事故に近い御逝去であり、この先これからどう野口白汀の世界が広がって行ったかを思うと、悔しさも残る。 当夜、多くの関係者を集めて偲ぶ会も開催された。激走して走り抜けた先生の生き様に、改めて大きな触発を頂いたのである。 土性っ骨偲ぶ風骨空っ風 幻椏
今日は小寒で、寒の入りである。節分までの約30日間を寒と言い、厳しい寒さが続く。風が無い分だけ今日は、昨日に比べ過ごし安かったのだが、今年は例年に無く寒さが厳しい。
ブログを始めて正月の季語になる数日は、年年歳歳繰言を言う程に同じ記事が続く。いや、ふと思い出して昔の拙文を引っ張り出してみると、1978年1月1日発行のコミュニティー・ペーパー「直実公報」に投稿した「年頭雑感」まで、恥ずかしい程に代わり映えの無いままである。 34年前、まだ充分に未来の在る時代の我が文章を、不思議な思いで読み直した。 年頭雑感 ー 地球の回転運動とバランス感覚及びテーマ喪失の時代について フィジカルな地球の回転運動は、確かなサイクルの中でメタフィジカルな1日の重みと、1年と言う節の意味を教えてくれます。したたかに流れる時の中で私達は、その激しい流れに翻弄されながらも生きて、生きている証として様々な思いを蓄積し続けます。エンドレスなその蓄積は、放念するには余りにも惜しいものです。なぜなら私達は、ものを考える事が出来る知的生物ですから、蓄積された思いを単に疲労感として認識したくないのです。 地球の単純な回転運動が、人間の複雑な知的行為に変換されると言う図式を 最も意識出来るのが年末、年始の様です。もし地球が、サイクルを持たない直線運動だったらどうだったかと考えると、回転運動の持つ自然の摂理の偉大さを、改めて驚きを以って再認識せざるを得ません。何げ無く暦が繰り返えされる中で、私達の社会は創られて来たと思いますし、文化も醸成されて来たたと思うからです。人間の歴史は、この回転運動の中で位置付けられ、育まれて来たのです。つまり日々を重ねた1年と言うサイクルを大切にして来のです。人間は、天空・未来を好むものですが、同時に起点・原点を明確にしておきたいのです。つまり、日常のダイナミズムの中で流されがちな未来志向、天空指向を、日々を重ねた1年と言う時間の中で清算し、それを増幅する事で新たな起点、原点を再び認識して行くと言う繰り返しを一番の方法論として来たと思うのです。 元旦の日の出を、初日の出と特別に思い込める私達のこの上なく素晴らしい意識は、取りも直さず地球の回転運動に起因している事を思わざるを得ません。 ☆ 予測不能と言われるこの時代の中で私は、混迷を続ける主な原因に「バランス感覚の喪失」と「テーマの喪失」と言う2つの重大な喪失を感じています。 バランス感覚とは、本来フィジカルな相対関係の中で生じる感性ですから、様々な関係性の中でどのようなポジショニングを取り得るかという事なのですが、意味を拡大して行く中で、時間的・空間的関係項においても有効と理解したいものです。単に人間のしがらみの中で目先の利益を狡猾に感じ取ってバランスして行く事が、すでにバランス感覚の喪失に繋がっている事を知らなくてはなりません。時代を正確に把握し、その時代と自分の生きて来た過去と未来を含めた歴史の交点に、オリジナルな生き様を演出しながら、確りと立つ事が出来るかどうかが大きな問題なのです。そして、確かな視点で未来を見据える事から、どの方向にどの様な未来を身体化して行くかという決意が、取りも直さずテーマのはずです。ですから、バランス感覚を喪失すれば、当然テーマも持ち得ない訳で、状況も情況把握も出来ないところでのテーマなど、何の価値も無いと言わざるを得ません。つまり、バランス感覚を失い、テーマを持たない人間の行為の評価は、単に疲労感の強弱として認識するに止まざるを得ないのです。本来の評価は、相対的関係性の変化の中で計られるものですから、その評価システムを自身の中に持つ事が重要になります。単に汗を流し、疲れる事が良いとばかりは言えません。必要以上に疲れない為にも、「バランス感覚の獲得」と「テーマの獲得」を、もう一度考えて見たいものです。 低成長、構造的長期不況とマスコミは喧伝しますが、時代に翻弄されるがままに自分を持ち得ない事を諦観する事無く、だからこその後悔の無い自分の生き様を時代に刻みたいものです。でさから、バランス感覚とテーマを獲得する事をテーマにする事も、あながち可笑しな事では無いと思います。なぜなら地球は、これからも無限に自転をしながら公転と言う回転運動を続けていくのは確かなのですから。 ☆ 広範な情報と、状況をギューと凝縮する事で、自分のバランス感覚を研ぎ澄まし、それぞれ固有のテーマを持つことが出来れば、わが街熊谷においても当然それぞれのレベルでバランス感覚とテーマを持ち得るでしょう。その事が取りも直さず地域主義の根源的価値なのだと思います。コミュニティーとは、何も先行して存在するものでは無く、あくまで私達の生き様、認識によって構築されるものですから、この街熊谷に生き続ける事を決意した私達としては、私達の不断の意識によって快い状況を作り続けていく事が、意味ある事なのだと思うのです。 「刻螺線自転公転去年今年」 今の私は、17音で済ます事を随分と大形に語っている。恥ずかしながら、この連続線の上に私が居るのである。
本日、1月5日から我が社は、仕事始めである。社員には通常より遅い朝10時に集合頂き、新年の挨拶と、仕事始めの式を執り行った。
私は、相変わらず厳しさの続く時代状況の中で、改めて建設の本質的な価値である、人間愛、地域愛を社員一人一人に確りと抱え込んでもらうために 「共助」と「賢慮」 と言うキーワードを提示し、この1年の必死の協力をお願いした。清酒での乾杯と手〆で、1年の健勝を誓い、後に、全社員打ち揃い、高城神社の社殿にて安全祈願祭を執り行なった。小寒を明日に控える今日も、身に沁みる程に、熊谷は冷え込んだ。厳しさに立ち向かうべく、身の引締まる緊張をしたのである。 午後からは、社員それぞれに別れ、御年始に廻った。私は、関係官庁、会議所、銀行を廻り、新年のご挨拶をさせて頂いた。 時喰うも力仕事や寝正月 幻椏1年前の正月は、こんな句を読んでいる。今年はと言うと、寝る暇も無く正月4日が終わろうとしている。 1日元旦、朝8時から熊谷総鎮守・高城神社の元旦祭に参加。終了後10時から、恒例の弟家族も参加して、親族揃っての新年会。初孫初参加の新年会だが、我が子も甥達も皆成人をし職業に付いて全員大人の会になった。美味しく権田酒造の新酒「直実」を飲んで、楽しい時間に成った。一休みしてから、これも恒例の市内神社仏閣への初参りに出かける。混雑の高城神社をパスして、千形神社、熊谷稲荷神社、星川御不動様、八坂神社、奈良神社、三ヶ尻観音山、そして三ヶ尻八幡様と廻って、1日を終える。 正月2日は、遣り残した大掃除を。洗面脱衣室と東側廊下のワックス掛け、屋上ビオトープの掃除で一日が終わる。元旦を待たず終わっていた仕事が、今年は正月にずれ込んだ。この1年の体力の減退を、こんなところにも感じてしまう。 正月3日、午前中はテラスの掃除。午後は、八木橋デパートで開催されている地元院展作家の作品展を覗いて後、畏友山本素竹氏の「書と篆刻展」を拝見する為、群馬県渋川市へ出向いた。中々素晴らしい個展で多彩な彼の才能に敬服しながら、個展会場で大層お酒を頂いた。素竹氏フアンの方々とも一座建立、正月のエキジビションならではのこれもまた楽しい時間に成った。興に乗った素竹の御好意で、即興で我が雅印をお作り頂いた。篆刻家素竹氏の才能全開のチャーミングな丸印を頂いたのである。その後も御友人達と、2次会3次会と宴は続き、正月3日は、目一杯に楽しませて頂いた。 実はこの日息子は、早朝我が家を出て、伊勢神宮へ初詣に出掛けている。私の還暦を境に、息子にバトンタッチをした。親子3代の伊勢詣で在る。この1日を代替わりすることで、昨年は寝正月が実現出来たのだが、今年はタイトな正月になってしまった。写真は、息子に受けて来てもらった今年の伊勢神宮の絵馬である。そして今日は、遅い朝を味わい、午後は熊谷県土事務所での賀詞交換会、夕方から18歳の正月から続く熊谷高校時代の恩師を囲んでの同級生の会に参加し、帰宅後ブログを綴っている。 正月休みも慌しく終り、明日は我が社の仕事始めになる。俳句を詠む事も忘れていたのだが、今年の第1作は、こんな句を詠んだ。壮大な宇宙の摂理を思い、変わらず続く悠久の時間ながら、今年を良い年にしたいと念じたのである。 刻螺線自転公転去年今年 幻椏 ![]() 皆様に於かれましては、恙無く新年をお迎えの事と存じます。 千年に一度と言う東日本大震災、それに伴う福島原発の事故と、まさに未曾有という言葉のリアリティーを実感した年が明け、本年を迎えました。有志と共に逸早くオール熊谷自立支援ネットワークを立ち上げ、官民一体となった支援活動は、「共助」と言うキーワードの如何に強力で有効かを学ばせて頂きながら、現在避難者35世帯の皆様の自立支援を粛々と行っています。多くの熊谷市民のお力添に対し、深い感謝と共に、我が市民の心を誇らしく思う日々です。 とは言え復旧復興は思うに任せず、我が国の混迷そのままに一向に前進が見られないのも事実ですし、加えてグローバリズム、マーケット至上主義の弊害も顕在化し、欧米諸国の停滞感と共に、国内の閉塞感は極まったと思う程です。 改めて今日、3・11を経験した私達は、如何に生きるかを自問せざるを得ません。自然に対して人間は無力であることを知り、傲岸不遜の驕りを正す事から、何が正しい生き方なのかを問い質すスタートの年としたいものです。 私達は、今一度真の幸福の尺度を想起し、思い切った価値の転換を試み、賢慮の市民として共助の思想を共有したいと思うのです。 だからこそ今年も「地域に暮らし・地球に生きる」と言う我々の理念を正しく発信したいと思っています。我等が思いを正しく受け止めてくれる方々との共助を構築し、地域生活者としての本文をわきまえ、「信頼と満足」を「公正と更なる技術」を目指し、日々の業務に邁進して行きたいと念じています。本年も、変わらぬ御指導御鞭撻を宜しくお願い申し上げます。
2011年もあと1時間で新年を迎える。この年、大正100年が終わると言う事に、いささかの感慨を覚える。閉塞感を打ち破る年に成るのか、一層落ち込む年に成るのか、世界の政治状況を見渡せば、大きな変動が起こりそうである。
煤逃げも一人時間差真夜の役 幻椏 大掃除には煤逃げと行きたいところだが、人の居なくなった我が家の情況では、確りと私の割り当てが決められている。なかなかその気にならず現場から逃げ出すのだが、遣るべき仕事は残してある。諦めて止めてしまうか、遣りきるか、となれば遣らざるを得ない。日々変わらず、地球が自転しながら公転をして時を刻んでいる。今日を大晦日とし明日を元旦と決めた時間の螺旋運動を良しとするから、真夜中まで一人、昨夜も床のワックス掛けを遣った。 煤逃げも一人時間差、後の苦役が待っているのである。 私の責任範囲は大方終えて、やっと今年最後のブログに向かえた。 一昨年の大晦日は満月で印象深かったが、今年は上弦の月が美しい。 除夜の鐘天井の望月の鐘 そして 黄櫨実殻こそばゆげなり上弦の月 幻椏 である。 1年お世話に成りました事、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。良い年をお迎え下さいます様、御祈念申し上げます。 24日から庭師が入り、生垣の刈り込み、庭木の徒長枝を剪定、松の手入れを終えて昨日作業を終えた。今日は門松が運び込まれて、会社の年用意も進んでいる。私の年用意は、Bindex 6穴のシステム手帳用の年間ダイアリーを自分仕様に手を入れる事から始まる。人間の記憶は天候に強く影響を受けるだろうから、私は0.4ミリのボールペンで5.5ミリの円を365個 日付の下に書き込む。これが結構大変な作業で、発行元の日本能率協会マネージメントセンターへご提案もしたが、一向に聞き届けてくれない。 「少し背中をまるめて、黒いシステム手帳をしっかり胸にかかえて来る人がいます。『私 ? 私は吝嗇家、ケチです。お金も、時間も、ほんとにもったいない。無駄には使えません。東京まで、JRの片道運賃が1110円、往復で2220円のところ、フリーキップが2230円、一日乗りほうだいですから、こりぁいい。だからいつも東京に出て行く時は、このフリーキップを使うのですが、私、池袋へよくいくんです。池袋は東京のど真ん中、そうずーっと思っていましたから、池袋へいく時もフリーキップを買っていました。ある時、池袋まで950円でいける事に気がついたんです。往復で1900円。安いと思っていたフリーキップより330円も安いですよ。あーあもったいない。何度も何度も330円損しちゃって、ほんとに腹が立ちましてね、立ちくらみがしましたよ。実を言いますと、もっともったいないと思っているのが時間なんです。この時間っていうやつは、ちょっと私が油断しているとスルッと逃げてしまいます。だからしっかり捕まえておかないと。ああこのシステム手帳、これがそれなんです。人間の記憶なんてものはいい加減なものですから、下手をすると昨日の事さえ忘れてしまいます。私は、それがもったいなくて。だからこのシステム手帳に何時から何時までは何処でなにをしていたかを、ほんとにしっかり書き留めておくんです。これで安心、ホッとするんです。これだけ大切にしている時間ですから、他人様に私の時間をもてあそばれると腹がとにかく立つんです。はい、私はケチンボーです。』 少女はその手帳を見せられてびっくりしました。小さな細かい字でびっしりと書き込まれているのですから。少女は、ここまで書き込む時間はもったいなくないのかな と、ちょっと意地悪に思いました。」 「幻椏の童話・街角のベンチ」 に登場する吝嗇家そのままに、私は自分史を手帳に刻んでいる。毎年、同じ様に円を描き、補助線を入れて自分仕様に書き込み作り直し、システム手帳にセットする事から年用意がスタートする。29日の仕事納めまで、事務所の大掃除、1年間のゴミを出して整理整頓。そして29日の夜から自宅の大掃除である。 今年も随分押し詰まって来た。
八ツ場ダム建設工事が、再開されるらしい。「コンクリートから人へ」 と言う民主党のマニフェストに掲げられたキャッチコピーは、建築を業とする私でさえ上手いコピーだと関心をしたものである。本質の良し悪しでは無く、民主党の政策を見事に表現をして、反自民の大衆を鷲掴みにした。今思えば、何の根拠も裏付も無い、ポピュリズムそのもののキャッチコピーであった事が露呈したと言う事である。
人間の意識とは可笑しなもので、「コンクリートから人へ」 と言う現実は偽りだったと言う結果に立ち至っても、刷り込まれた意識は元には戻らない。本来人間と建築は、対立するものでは無い。人間との関係性の中で建築は価値を持つ。真に価値在る建築を建設して来たか、と言う問いに真摯に答えなくてはならないと、私は建築の原点に戻って地域を、人間を改めて考えて来た。オール熊谷自立支援ネットワークもエネルギー・セキュリティー問題も、この発想の延長線上に在った。勿論反省もし、襟を正しもしたが、度を越えた建設業バッシングが現実にある。このまま行けば、地域から建築文化も、地縁技術も消えてしまうだろう。只々自分に厳しくストイシズムの極みに私自身を置く事で、耐えている。が、政治家の都合に振り回される事だけは我慢出来ない、と強く思うのである。 厳しさの中に身を屈めながらも、クリスマスシーズンである。カーラジオのDJが、「今年一番のプレゼントは何ですか?」 と言う問いに、多くの答えが寄せられていた。プロポーズの言葉、赤ちゃんを授かった事、大災害を経験して平凡な日常を頂いている事が一番のプレゼント等々・・・。私も、何が今年一番のプレゼントかしら、とふと思う。そうそう、この子である。初孫の陽以君である。2月22日に生まれてこの方、決して多くは会っていないのだが、至極可愛い。昨日から帰ってきてくれている。随分と大きくなった。この子達の未来を輝かしいものにしたい、私達大人の責任は大きいと思うのである。
大宮アルディージャの石原直樹選手が広島に完全移籍、と言うニュースが、昨日の埼玉新聞に大きく報じられていた。私にとっては、将軍様の死去以上に不在の喪失感は強い。直樹は、アルディージャの中で好きな選手の一人だった。身体能力が高く、滞空時間の長いハイ・ジャンプはそれだけで嬉しくなる程に美しかったし、得点能力も高く、アルキチの期待にきっちり応えてくれる数少ない選手であった。そして彼は、むき出しの闘志を表に出すと言うタイプでは無く、内に秘めた熱い思いをじわりと感じさせてくれるスタティックな選手だったのも、私の期待する大宮のチームカラーに良く合っていたと思う。
この2年、スーパー・サブと言う役回りに甘んじていたが、先発出場の機会を求めての移籍という事情を聞くと、いささかの同情すら覚える。広島での彼の活躍を願わずにはいられない。 常々、監督の選手起用法に納得のいかない事が多く、我々サポーター仲間では不満が多かった事も事実である。思えば、張 外龍(チャン・ウェリョン) 監督が昨年、シーズンをスタートさせて後、4月に今の鈴木監督に交代をしたのも、仕組まれていたストーリーの中の出来事だったと思えて成らない。新潟からゴールキーパーの北野を先兵として移籍し、追いかける形で同じく新潟を見ていた監督が任命された事実を、偶然とは誰も思っていないだろう。フロントの意思統一の無さが、このずれ込みの混乱を作ったに違い無い。そして、このところ大胆な選手の入れ替えを行い、タレンティヴな選手が集まって来たのも事実で在り、それらの選手を動かす鈴木監督に期待しながら、2シーズン全く結果に結び付いていない。今年も残留競争の定位置で、なんとホームで2勝止まりである。落ちそうで落ちない大宮らしい1年で終わったのを幸いとしながらも、私はシーズン半ばから問題は監督にあり、と思っている。 来シーズン3年目を迎える鈴木監督の差配振りは如何なものか、我が期待を大きく裏切ってくれる事を、切に願うばかりである。 昨日が冬至である事を承知はしていたが、お風呂に柚を入れるのを忘れた。確りと袋に入れて用意してあった物を、私は見落としてしまったらしい。今日は、1日遅れながら、ゆっくりと柚湯を楽しもうと思っている。 今年も残すところ後10日、と押し詰まって来た。先週末から年末のご挨拶廻りを始めているが、この1年を思うと厳しさのみが身に沁みる。我が社では、毎年ビジネスダイアリーを用意し、お世話になった方々にお配りをしている。すでに半世紀近い歴史を持っていると思うなだが、この間、このビジネスダイアリーのデザインは全く変っていない。改めて保存してある私のビジネスダイアリーを見ると、1970年のものが1番古い。私はまだ学生で一冊分けてもらい、そこには細かい日々の生活が書き込まれていた。山手線一区間30円の時代である。当時、官公庁の仕事が大方で、お役人に配る事が多かった様であるが、つつましく1ページ目に我が社の名前が印刷されているだけで、そのページを破り捨てれば自前のステーショナリーになる事から特に便利に使えたらしく、要望が多かった。と言う事で、大方の配り先は毎年決まっていた様である。私の本棚にも、綺麗に40冊のノートが並べられている。変わらない事の価値であり、美しさである。 そのビジネスダイアリーがついに生産中止、同じ物が用意出来ないと言う。薦められた商品に変えざるを得なかったのだが、残念で仕方ない。大正100年、と言う今年を終えてビジネスダイアリーひとつを見れも、リセットされる。折角のリセットの年ならば、大いなる構想の中で新な価値を模索し、真にパラダイムシフトの1年にしたいものだ。そうしなければ成らないと、強く思うのである。 この1年、最後まで思わぬ事が起こる。2011年は、歴史に明確に刻み込まれ、忘れ難い年に成るのだろ。昨日、17日会・荒川塾合同の忘年会が、駅ビルアズ屋上特設会場をお借りして開催された。ご案内に、アズ屋上と書いたので、何名の方から、「この寒空の中で忘年会?」 との問い合わせを頂いたが、アズ店長堀口氏のご好意で、素晴らしい会場をご提供賜った。勿論、暖房装置も確りと有効で、暖かい会場である。 30名を超える大勢の方々の御参集を賜り、盛大な忘年会と成った。直実の新酒、都富酒も用意され、華やいだ。都富酒は、「つぶざけ」と読み、もろみの米粒の入った生酒である。そしてメインは、ケーナとチェロと言う、珍しいデュオのコンサートである。幾度も我がブログに登場している岩川光君にお出で頂いた。 彼は、10月エクアドルの国際音楽祭に日本からの音楽家として招聘され、演奏会に参加したと言う。その後、ボリビア、チリ、アルゼンチンと南米を廻り、各地で様々なセッションに参加し、18日夕刻日本に帰ってきた。帰国後、24時間も立たない内に熊谷でのコンサートである。大変な状況ながら、出発前に約束をし、旅行中はフェイスブックで連絡を取り合い、昨日の運びとなった。ストレートに南米の風をそのままに、出来るだけホットな情況で彼の演奏を聴きたい、と言う私の我儘である。2ヶ月間と言う短い時間ながらこれを真旅として多くのものを吸収し、一回りも二回りも大きくなった様である。抑えたケーナの音色の中に、何時に無い豊饒さを感じた。またチェロとのデュオも、思いの外にしっくりとしていた。ケーナとチェロを合わせるために、編曲と言う多大な音楽的努力が内に隠れている。彼らの音楽家としての能力の高さを実感させて頂いた。 お集まり頂いた皆様からも絶賛の拍手を頂き、我儘な我が思いは、嬉しくも大成功であったのである。
年も押し詰まって、今更なのだが今年は大正100年だった事を初めて意識した。父が大正13年、母が14年、金子兜太先生が9年、我が社の創業が12年、単純に100から引けば今年の歳だったのである。我が脳は、漢字中枢と数字中枢がすっかり遣られてしまい、書けない足し算引き算も出来ないと言う不自由な脳味噌なのだが、大正100年を知っていたら両親を思う時、もう少し明確な位置付けが出来ていたかも知れない。来年は100から引いて1を足せば良い。そう思うだけだ少しの安堵を覚える程に、老化は妙に急ぎ足である。
我が句友のmunixyuさんが、季語の事でお悩みのようである。時折の問いに、私なりの返事をしていたのだが、「季語の3つの働き」 と言うのがものの本にあったのでお伝えしようと、書き写す事にする。 季語の3つの働き 1.季節感 四季の移り変わり、その変化を表す。 2.連想力 1つの概念、共通の概念を共有する。 3.安定感 作品の良し悪しを決める ものの座りぐあい。 成る程、季語そのものが季感を超えてパースぺクティブに拡がる言葉の文化財としてある事を 確り認識する必要が在りそうである。上記、なかなか明快である。
私の従兄弟が県議選に立候補した折、親族の応援をお願いするための呼び掛け状を書かせて頂いた事がある。その文面の中に、大きなファミリー程の意味で 「係累」 と言う言葉を使ったのだが、「心身を拘束するわずらわしい事柄」 と言う意味が含まれる事を承知かと、注意を頂いた事がある。本来個々人が自由な立場で投票すべき選挙に、親戚縁者が故に心身を拘束するわずらわしい事柄を持ち込まれる事など迷惑至極、と思われたのだろう。我が浅学を恥じたものだが、このところ話題の 「絆」 にも 「断つに忍びない恩愛、離れがたい情実・結びつき」 と言う意味と共に、「 馬・犬・鷹などの動物をつないでおく綱」 と言う意味がある事をご存知だろうか。
今年の漢字として大書された文字を見ながら、地震、津波、原発事故から直接想起される言葉を超えて、「絆」 が選ばれた事に私は、日本人のアイデンティティーの在り様に安堵を覚えた。と同時に、流行言葉に成る事で消費され、言葉が痩せて行ってしまう杞憂を思わざるを得なかった。 声高に語られ連呼される中で、今日感じている極めて控えめな情緒が霧散し、首輪を嵌められ何者かに拘束される煩わしい引き綱に成らない事を、願うばかりである。本来「絆」とは、強要されるものでも要求するものでも無い密やか感性と思うからである。
大野百樹先生の卆寿展が日本橋三越本店で開催されていた。過日、先生のギャラリー・トークがあり参加した。会場には沢山の人が集まり、私は席を得る事も出来ず、多くの人が立ち見のままに先生のお話を拝聴したのである。
先生御自身が「祈りの筆」と画業を称するように、天然自然に誠実に向き合い追い求めた美、描かれた風景画は、宗教画と思われる程に透徹した意思を読み取る事が出来る。独自の画法、点描を極めた精緻な画面に、私は心を静かに鷲掴みにされる思いである。ギャラリー・トークで興味深かったのは、なぜ点描と言う画法を獲得したかと言うお話であった。現地でのスケッチは鉛筆と色鉛筆を使って取材を成されると言う。必死の鉛筆でのデッサンの後に色鉛筆で色を置いていく。鉛筆の黒鉛で画面が濁らない様に、線と線の間に刺すように色を置くという。結果、色の点描がなされると言うフィジカルな理由が一つにあると言うのである。そして、先生の師である奥村土牛に師事したある日、テーブルの上のマッチを箱から出し、幾重にも積み上げて言ったと言う。師は、「私は1本でこの無数のマッチを描きたいと思う。貴方は、この無数のマッチで1つの本質を描いて欲しい。」 と言う指導を頂いたと言う。ここから、大野先生の独自の点描画法の獲得に悪戦苦闘が始まったと言うのである。 何度もお話を聞く機会を頂きながら、初めて聞く興味深いエピソードであった。 改めて代表作品を拝見し、私の近くにこれ程の素晴らしい芸術家を頂いている事に、私は至上の喜び、感謝の念を覚えたのである。
明日が新聞休刊日を知らず、尚且つ遅い朝だったので朝日俳壇入選を知ったのは、昼前になっていた。
朝顔の青霜月の色として 幻椏 長谷川櫂選8席の入選である。我が句柄からして長谷川櫂に取られる事は無いと思っていたので、吃驚である。勿論初入選で、この事が嬉しい。幸いにも2011年は、これで8句目の入選となったが、例年と違って4句が金子先生、3句が大串先生、そして今回である。我が俳句に、微妙な変化が起きているのかも知れない。 この句は、11月の秩父吟行の折に得た句であるが、本来朝顔は秋の季語である。また、7月6.7.8日の3日間、東京入谷の鬼子母神の縁日に立つ朝顔市は、7月という事で夏の季語になる。この記憶が強く、夏の花と思うのだが、実際は花期が長くて、初冬に入っても元気に朝顔が咲いている。秩父の黄落の側で、朝顔が咲いていた。その花の青が、強烈に印象的だったのである。初冬に咲く朝顔の青は、明らかに夏、秋の花の色とは違う。いや、変わらなく在るのだろうが、背景と空気が違う。この差を詠みたいと思ったのである。 当日、この句を孫歩さんが主席に御取り下さり、大層褒めて下さった。早速、今日の報告と御礼の電話を入れさせて頂いた。
| ||||||||||||||||||||||||||||