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各種総会も丁度半ばと言うところか、昨夜も「熊谷警察官友の会」の総会が開催された。熊谷地域の安心安全を護って下さる警察官への応援団である。毎年、約20名の優秀警察官を会で表彰させて頂いている。熊谷警察署長をはじめ幹部職員の方々も御臨席賜り、和やかな会に成る。
私の得た席の円卓は8名ほどの座になり、間も無く名刺交換のセレモニーが始まる。この事は、それなりの意味を持つし価値もあろう。とは言え、最近物覚えが悪く、人物も名前も覚えられないのが私の現実である。恥ずかしくも恐縮ながら、沢山の失礼が山の様に積まれてしまう。それを知ればこそ、以前からワンパーティー・ワンパーソンを心掛けている。じっくりとその会に参加をし、名刺交換も積極的にはせず、参加者を観察している事が多い。すると、不思議に魅力的な人物が目に留まる。その方と失礼の無い様、丁寧にコミュニケーションをさせて頂き、関係性を少しずつ強化、印象の生産と獲得を試みるのである。こうして私は、大切な友人を多く得て来た。 昨夜も、若い聡明なドクターと出会った。語る程に、飲む程に、誠実な好漢である。彼の地域論も面白く、強い思いはその言葉の中に明快に表現されていた。良い出会いを頂き、新たに若い友人を得たのである。ワンパーティー・ワンパーソン、この機会を得て、末永いお付き合いをしたいものである。
大宮が、0-4とジュビロ磐田に大敗した。埼玉新聞は、「連敗で指定席へ」 と言う大見出しである。「磐田のプレッシャーが速く、効果的にボールを動かせなかった。いいところは無く、残念なゲーム。」 と鈴木監督の談話を報じている。最後まで、磐田まで駆けつけたサポーターへの謝罪の言葉はなかった、と記者は記事を結んでいる。このニュアンスからしても、現況に対する危機感の無さと のうのうと他人事で語る監督への批判を強く感じたのは、私だけでは無いだろう。実際の場に居合わせていないので、過剰な反応を控えなくては成らないが、有能な選手を補強し勝ち点50を目指す体制を整えながらも結果を出せないのは、全て監督の責任だと私は思っている。落ちそうで落ちないアルディージャのジンクスは、今年は通用しない。今期私は、J2陥落の可能性が過去に無く大きいと思っている。取りも直さず、監督の能力に限界を感じているからである
不快の念を引きずりながら27日、午後東京に出た。新宿京王プラザホテルで、「海程」創刊50周年記念祝賀会が開催された。「海程」の会員でもない私まで御案内を賜り、ありがたく参加させて頂いたのである。 来賓140名、「海程」同人、会員は全国から300人を越える方々が結集、盛大な祝賀会であった。改めて戦後俳句、俳壇における「海程」の役割の大きさ、金子兜太先生の偉大さを実感させて頂いた。恐縮にも私は、地元熊谷の人間として、嶋野副市長と共に御高座を頂いていた。会場には、有名人、有名俳人が綺羅星の如く揃っていたのである。御厚誼を頂いている先生方にも、久し振りに御挨拶が出来た。金子先生が、以前にまして大変お元気であった事が何よりも嬉しかった。スピーチも簡潔で明快、「海程」と言う巨大な結社の主宰として無駄な言葉が全く無かった。これが知性、成る程と思うのである。藤原作弥元日銀副総裁の丁寧な御挨拶、トラック島で句会を持ったという西沢實氏、94歳と言う御高齢ながらもかくしゃくとして乾杯の音頭を取って下さった。宴が始まっても、途切れる事無く来賓の祝辞が続き、どの方も個性的なスピーチで会場は大いに盛り上がった。後に、金子千侍社中による秩父音頭と秩父囃子の御披露があり、会を閉じた。 私は、幸運にも俳人高野ムツオ氏と少々のお話が出来た事、朝日俳壇で御活躍の野崎憲子さんに偶然お会いし名刺交換が出来た事も、嬉しかったのである。 我が社の欅の葉が大いに茂っている。雨が降るとその重みで、人の背丈にも垂れ下がる。ありのままが良しと、植木屋にも剪定をさせずに来たが、流石にどうにかして欲しいという声が出始めた。そこで2.5メートル程のところで下枝を切りそろえた。枝先を切ると、垂れ下がった枝がすうーと上がる。雨が降った折に確認をし、もう少し切落とさなくては成らないかも知れない。が、自然に何気なくを心掛けなくては成らない、と思っている。 右の写真は、木下から見上げたものである。新緑の欅の葉は柔らかく、陽を透かして見ると何とも清々しい。「緑さす」 と言う季語がある。坪内稔典が毎日新聞の季語刻々で、「水原秋桜子編『新装版俳句小歳時記』(2005年)はこの季語を『若葉影が映ること』と定義している。つまり、若葉の光が照り映える感じ、それが『緑さす』である。ちなみに、この季語は『広辞苑』などにもまだ出ていない。俳句発のきれいな言葉として広めたい。」 と書いていた。「若葉」は初夏の木々の初々しい葉の総称で、「新緑」は木々の緑を言い、「新樹」はみずみずしい緑に覆われた木々を言う。どれも夏の季語であるが、微妙に焦点が違う。「緑さす」は、光をフォーカスしていると言う事であり、詠み手の感動の拠り所で、季語が選ばれる。季語の本意、微妙なニュアンスを正しく理解しなければ、と思うのである。 成田山新勝寺へ、正五九(しょうごくう)と読んで、年に3度の参拝を行う事は、常々ここに書いている。5月も1週間を切った今日、正五九の五を果たす為に妻と出掛けた。正月、ハイウエーを使わずに、ほぼ大差の無い時間で行けると言うルートにチャレンジしたが、実のところ上手く行かなかった。帰宅後悔しいので、開拓者である弟にパソコンの地図を使ってナビゲーションしてもらい、改めて地図をプリントアウトし、赤鉛筆でルートを書き込んでおいた。我が家から成田山新勝寺までのコピーは、結構な枚数になった。改めて今日、そのルートにチャレンジしたのである。一般道を走って3時間と聞いていたが、9時に出て12時に到着、3時間ジャストだった事に驚きもした。 残念ながら午前中の護摩には間に合わず、午後の護摩まで門前町を散策をしたり食事を取ったりと、少々の時間つぶしが必要だったのだが・・、大護摩を挙げると名前が書かれているので、写真に撮る余裕もあったのである。帰りも、再度のチャレンジを試みるものの、わが車に搭載しているナビゲーターを使い切ることも出来ず、逆走する風景を覚えきれず、残念ながらパーフェクトとは言えないながらも、220キロを越えるドライブを終えた。
この季節、様々な会の総会が開催される。私でさえ、先週から6月の中旬まで、合わせて20あまりの団体、組織の総会、加えて祝賀会等にも出席しなくてはならない。業界関係、商工会議所、税務署・法人会関係、警察関係と様々であるが、会う顔ぶれはそれほどの差はなく、「いやー、又お会い致しましたね・・・」 と苦笑いをするのである。
昨年、牡丹の株から芍薬の花が咲いた。多くの牡丹の株が芍薬の根に接木をしている事を知らず、その珍事を面白がっていたのだが、対応を間違え牡丹の株は枯れてしまった。今年も元気に芍薬の原種の様な素朴な花が咲いている。あるがままを受け入れようという我が思いも、只の無知である事を思い知る。私にとって善意の行動も、時にして悪しき結果をもたらすことも多々ある。自分の至らなさを知る事の多い今日この頃である。 牡丹に芍薬の花とふ隠秘かな 幻椏 ![]() 早朝、妻から、「眼鏡持ってる・・・」 と聞かれて、不覚にもその意味を直ぐに理解出来なかった。今日は、金環日食当日、熊谷はよく晴れ絶好の観察日和であった。自動点滅の庭園灯に燈が入り、日食の進行を知る。残念ながら、日食観察眼鏡の用意などなく、肉眼で見る限界を知らされたのだが、木漏れ日は金環日食そのままに、幾重にも円環が折重なった。 樹下日の斑金環日食全てが輪 幻椏 この19,20日に、権田酒造恒例の利き酒絵が開催された。 今年は第26回、随分と長く続けて来たものである。初日は90人、2日目は130人、加えてスタッフは両日とも20人を越える大イベントに成った。権田酒造で行われる利き酒は、7種類の酒をランダムに2つのテーブルに置き、A~G、イ~トを嗜好順に並べて全て同じであれば勝と言うランキング方式と言うゲームである。同じ蔵の酒であるから、酒類は違っても飲み分けるのは相当に難しい。点数は絶対値のj2乗倍がマイナスとなって行く。始めのテーブルで1番美味しいと思った酒が次のテーブルで7番と答えるとこのひとつのミスで36点が引かれてしまう。両日共に優勝者はマイナス2点、、全問正解者はいらっしゃらなかったが、相当に難しい7本を飲み分けたのであるから、見事な成績である。 ゲームを終えて、宴会である。地の物産を集め心のこもった料理はどれも絶品で、この会の肴はもうひとつの大きな呼び物になっている。権田の酒を飲みつつ、手料理に舌鼓を打った。この蔵元での酒と肴による一座建立が、多くの人を集める所以の様である。 ![]() 昨17日、オール熊谷自立支援ネットワークの総会が、午後1時より江南庁舎大会議室で、会長の富岡市長、副会長の松本法人会会長をはじめ、監事、会員、顧問の県議、市議会議員の方々40名の御参集を賜り、開催させて頂いた。 昨年震災後、直ぐに動き出し、5月10日には設立総会を持って実質的活動を開始した。第1期、3月末日までに団体・個人合わせて134件、47.818.159円の義援金を頂き、35世帯の生活支援金の支給、3世帯に対する住居支援金の支給、就労支援も支援決定世帯の内19名の方が再就職を果たしている。又、教育支援においては、小学生7名、中学生5枚、高校生5名を受け入れ、地元の学校で元気に学んでいると言う。その他、現地でのボランティア活動、被災者支援事業説明会、被災者交流会、ふるさと交流会などを通して、出来る限りの支援活動を行ってきた。 当初予定していた住宅支援が、市営住宅、公営住宅、一般住宅のみなし仮設住宅扱い等で、1年間無料と言うせさ施策の御陰で、大幅に支出の軽減が図れた決算を見ても、官民共助の素早いシステムの構築だったと、改めて思い起こすのである。 我が熊谷市において、このネットワークを持ちえた喜びと充実は、次の街造りにも有効に機能するであろうと期待している。3年を機嫌としてスタートしたオール熊谷自立支援ネットワークも、粛々と2年目の活動を続けて行きたいと念じている。 終了後、直ぐにさいたま市新都心で開催されている、建築学会関東支部総会に参加した。総会には遅刻であったが、懇親会は、楽しませて頂いた。 ケーナの岩川光とチェロの五十嵐あさかのデュオ、アコーディオンのミヤックとバイオリンの牧千恵子のドウ・マルシェ、それぞれ質の高い演奏に、学会の懇親会に相応しい知的な情況、豊饒な空間が構築されて行った。その極みは、請われて4人の音楽家がインプロヴィゼーションを試みた最後のステージだった。リードを取る音楽家に他の3人が敬意を持って寄り添う真摯な関係性が、それぞれの才能を触発し、それを廻して行く内にとてつもないカタルシスを起こしたのである。4人の音楽家の熱演・名演奏により、建築学会関東支部埼玉開催のこの懇親会は記憶され、此処暫らく伝説として語り継がれてい行くに違いないと、私は確信したのである。
東小学校体育館の竣工式を終えて、仙台に向かった。(社)埼玉県建設業協会大里支部宮城県視察研修、並びに通常総会の旅行が15,16日で開催されていた。初日は、震災復興モデルタウン構想講和、施設建学、ゆりあげ地区被災地視察等のプログラムが組まれていて、早朝出発していた。私は、竣工式を欠席で出来ないので、遅れて一人仙台に向かったのである。ありがたくも仙台駅にバスが待っていてくれ、宿泊地 秋保温泉のホテルには6時過ぎに到着した。
翌16日は、世界遺産に登録された平泉を見学。世界遺産登録地域は広範で、中尊寺(ちゅうそんじ):特別史跡、毛越寺(もうつうじ):特別史跡・特別名勝、観自在王院跡(かんじざいおういんあと):特別史跡・名勝、無量光院跡(むりょうこういんあと):特別史跡、金鶏山(きんけいさん):史跡から成ると言う。始に、毛越寺を見学。既に何度か訪れた毛越寺も、雨上がりの緑の美しさが際立ち、改めて強い印象を得た。大泉が池を中心に、仏教の世界すなわち浄土を地上に表現したと伝わる浄土庭園の豊饒さと静けさに、事の他今回、感じるものがあった。 昼食を挟んで中尊寺へ向かう。中尊寺本堂、金色堂、金色堂覆堂(旧覆堂)を見学。世界遺産登録後の一番の印象は、トイレをはじめ、周辺施設の充実である。綺麗に掃除され、全てウオシュレットが備えられていた。 定番の金色堂のアングルを我がデジカメに収め、鉄筋コンクリートで出来た覆堂を見ながらも、改めて芭蕉の句を思う。 五月雨のふり残してや光堂 芭蕉の句碑が点在する。 夏草や兵共がゆめの跡 なるほど良く知られたこれらの句を、改めて名句と思うのである。この句の前に、新に詠み様も無くたじろぐばかり、作句の思いさえ無いままにバスに戻ったのだが・・・ 覆堂緑雨やみゐて光堂 幻椏 お粗末で恐縮である。 最後に達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)を見学。坂上田村麻呂が蝦夷討伐に勝利した際、毘沙門天への戦勝祈願によるものと感じ、この地に建立したものと言う。現在の建物は昭和21年の火災によって焼失後再建されたも。中尊寺から達谷窟毘沙門堂へのバスからの風景が、のどかで美しく、懐かしささえ感じたのである。境内には、熊谷草が咲いていた。 どの寺にも、欲しく成るような山野草が沢山あった。それだけでも、豊かな感慨になるのである。雨の翌日と言う天候にも恵まれて、良い旅を頂いた。 やっと書き上げ、今日もこれから浦和、東京へと出張である。今月いっぱい、こんな感じで多忙な日々が続く。
熊谷市立熊谷東小学校屋内体育館の竣工式に際して、施工業者を代表して御礼の挨拶を述べる機会を頂いた。今日の公共工事の在り方を、深く考えされられる工事であったが、45日の工事停滞を乗り越え、延長工期内に引き渡す事が出来た現場である。思う事多々溢れる中で、御礼と御祝いの言葉を述べさせて頂いた。
「熊谷市立熊谷東小学校 屋内体育館新築工事 の施工を担当いたしました3社、㈱デンユウ、白根設備㈱を代表致しまして、一言御挨拶を申し上げます。 この度は、熊谷市民の公共財を創出すると言う機会を賜り、その責任を果たすべく全社総力を挙げて取り組ました本工事を、重大事故も無く、無事完成引渡しを完了し、今日の式典にご案内賜りました事に対しまして、御礼申し上げます。 この工事期間中、校長先生をはじめ教職員の皆様、御父兄の皆様、学童のみなさん、そして管理ご指導を賜りました熊谷市担当職員の皆様に対しまして、改めて深甚なる感謝を申し上げます。 今日の時代状況の中で、自ら厳しいコストに挑戦をし、品質・工程・安全・環境等の管理を含め、全力で取り組んで参りました。これはひとえに、我々も誇りある熊谷市民の1員であると言う自覚に他なりません。我が街熊谷を愛し、より豊で住み良い街を創る為に、地元業者としての責任を果たしたいとの思いに他ならないのです。 地域には、引き継がれた文化、情報が蓄積されています。これを上手に利用し活用する事は極めて有効です。今回、この地域情報を上手に取り込む事が出来ず、結果工事の停滞、仕様の変更と言う事態が起きました。が、この遅れを取り戻す事は、筆舌に尽くしがたい困難と努力が必要でした。何度も工程表を書き直し、卒業生に新しい体育館を使って卒業させたい、と言うみんなの思いを実現するために、不可能を可能にするための 精一杯の努力をさせて頂きました。皆様には、大変御心配をお掛けいたしましたが、仮使用ながら卒業生を新体育館から送り出すことが出来ました。 1工程たりとも遅延遅れが出たら完成しない、と言う極限の工程管理の中で、卒業式当日、卒業生が在校生に見送られて体育館を出て行く姿を見たとき、若い我が社の現場担当者は、「間にあった」と実感し泪が止まらなかった、といっておりました。建築は記憶に深く結びつき、感動を呼び起こします。彼はその掛け替えの無い経験を、この工事を通して自分のものにする事が出来たのです。ありがたい事です。 最後に、熊谷市当局の御配慮、校長先生をはじめとする教育関係者の皆様、㈱デンユウ、白根設備㈱ 両社の御協力、人手不足の中必死に職人を供給し続けてくださった協力業者の皆様の頑張り等、全ての皆様に、心からの感謝を申し上げます。 こうしてこの時代、地元こそが力であり、賢慮・共助が地域住民にとって力の源である事を学ばせて頂きました。地元工務店の責任を果たす事が出来ました安堵の中で、重ねて御礼申し上げます。 この熊谷市で施工社一同、なお一層の努力研鑚に努めて参りますので、今後共宜しく 御指導御鞭撻を御願申し上げまして、本日のお祝いと御礼の言葉とさせて頂きます。」
この週末12、13日は、恒例の川沿い展が行われた。我が家は、妻が中心になって参加をしているが、今年は息子もボランティア・スタッフとして参加をしていた様である。私は、庭の掃除を中心に、「椏苑」のオープンガーデンの準備をした。昨年同様、庭の実生の樹にネームプレートを付け、御来訪者を待った。このブログにコメントをお書き下さり御名前だけは存じ上げていた方に御声掛けを賜り、初めてお会い出来たり、遠くからからバイクに乗って訪問くださる友人がいたり、第13回と回を重ねてこの川沿い展も、皆様それぞれに楽しんで下さっている様である。
そして、昨日は我が社の社員の結婚披露宴にご案内頂き、出席した。美しくチャーミングな自慢の社員、緑君なのだが、ウエディングドレス姿は格別綺麗だった。実は、古い友人で秘書学を体系化したその道のトップランナーである河口先生のゼミ生で、卒業後御紹介頂き、我が社に入社した。兵庫県出身で、御両親御家族は養父市にお住まいである。大学卒業後、故郷に帰る事も無く、東京からそのまま熊谷に就職と言う事を思うと、親御さんの思いはいかばかりであったかと思う。入社して9年、確りと生活の基盤をこの地に創り上げ、仕事も立派にこなし、趣味の時間も大切にネットワークを広げ、この度の結婚である。新郎も中々のナイスガイで、彼の勤める会社の社長は、偶然にも熊谷高校の同窓生で、同じクラスにはならなかったものの良く知る友人であった。お互いこの偶然を、この御縁に感謝し、邂逅を喜んだ。御家族に遠く離れ、親孝行出来ない事を詫び、母の日に嫁いで行く娘から御両親への挨拶は、思いが溢れ泪も溢れた。マイクを持ち、ハンカチーフを渡す新郎の優しさも溢れていた。私達も胸が詰まり、感動を共有させて頂いた。 素敵な新夫婦の誕生を祝い、末永い御多幸を祈念したのである。
5月の銀遊句会が、昨夜銀座の会場で行われた。座主は、孫歩さん。兼題は、「樹」である。
草子さんが、急用のため急遽欠席。この方の不在は、結果に大きく影響をするので、その報を聞いたメンバーは、それぞれに一喜一憂したに違いない。今日こそは草子さんに選んで頂きたい、と頑張って句を詠んで来た私は、大いに落胆したのである。 取っ置き(とっとき)の朝日が祝う新樹かな 逮歩 樹々の精気の精和して初夏の森 翌檜 滝桜人みな抱くがに咲ける 季楽 大樹抱き宇宙の言い分聞いてみる 典女 芽吹く樹のやわらかきあを空に塗り 桃 芽立時間伐樹林の若々し 丹水 漂へる青き匂ひや夜の新樹 孫歩 青嵐をゆったり受け止め大楠 黙去子 樹下に居て陰の定まる立夏かな 幻椏 結果、逮歩さんが今回も7点を獲得、主席の栄誉を獲得なされた。メンバーの勘所を押さえて、常勝の逮歩さんである。毎回賞品をお持ち帰りの逮歩さんには、悔しくもあるが天晴れと言わざるを得ない。「主席句に秀句無し」 と、言う事さえ憚られる程に、大御活躍である。次席は、翌檜さん。私が、主席で頂いた句である。今回投句された31句の中で、群を抜いて素晴らしいと思った。翌檜さんの御活躍にも、目を見張る。孫歩さん、逮歩さんを加え、黙去子さんがしみじみと 「このところ 熊谷組みの活躍は凄まじい・・。」 と仰っていたが、まさにその通りで、その中に入れない私は、口惜しいばかりである。実はもう一方、熊谷組の丹水さんの句も進境著しい。今回の句は、季楽さんが高く評価をされていたし、「樹林背に十二単の薄化粧」 と言う句を私も評価したい。お話を聞くと、森林保護のボランティア活動をなされていると言う。なるほど、場を得て初めて詠める句であると思う。シティー・ボーイを自認する丹水さんが、山野草の十二単を御詠みになるとはなんとも素晴らしい、と思うのである。 実は、今回私は4句投句した。上記の句が4点、「槻大樹一日朱色して若葉」 も4点、「日々軟らかき進化終へ槻濃い緑」 が2点獲得。「すがら楠すがたすがらに夏木立」 は残念ながら無得点だったが、私らしい4句を提出出来たと納得している。惜しむらくは賞品を頂ければ、もっと嬉しいのだが・・・。 草子さんの欠席を残念に思いながらも、楽しい句会であった。俳句は座の文学である、と言う。今回も、俳人・橋本榮治氏が言う様に 「俳句は作品を批評鑑賞し、受け止めてくれる仲間がいる事が必須である」 と言う事を、強く感じる銀遊句会になった。ありがたい事である。 恐縮にも、今日も我が家の「一畝-2」である。今朝、畝に藁を敷きこんだ。これで今の所の我が思いは、全て完了である。不精にも庭の水遣りは、ホースでデリカシー無く撒くものだから、泥が跳ね上がり始末が悪い。結果、畝に植えられた野菜の茎や葉を痛めてしまう。何度かそんな失敗をして来たのだが、藁を獲得する事が中々難しい。郊外村部に住む社員にお願いしても、殆んど手に入らないと言う。近代農業では、刈り取りながら脱穀し、藁はその場で切断粉砕して田に返してしまうので、結果手に入らないのだと言う。 幸い昨夜、知り合いの紹介で少しの藁を頂き、今朝敷き込んだ。泥の跳ね上がりばかりで無く、蒸散に対する保水も有効だろう。此処まで準備しながら思う収穫が出来ないのは日照の問題であると、私は思っている。南にはビルと槐(エンジュ)の高木、夏蜜柑の木があり、充分な日照を確保出来ない。 昔は、三畝の家庭菜園だったが、二畝になり、今の一畝になった。二畝は、現在牡丹園と言う事である。 今年の牡丹は一番の盛りを、連休の雨に遣られてしまい、残念であった。今は花柄を切り取り、来年の花を待つばかりである。 なべてみな唐突にあり牡丹散る 幻椏
ゴールデンウィークの最終日、アルディージャのホームゲーム、対ガンバ大阪戦の応援に出掛けた。大宮駅を出ると激しい雷雨に見舞われ、雹が降り出す程の悪天候、雨ガッパを着込んでNACK5スタジアムに向かったが、入場制限、開始は1時間遅れと言う、異常事態であった。前節はアウェイで神戸に大敗、どんなに不調とは言え、腐ってガンバである。連勝がストップし、次なるテーマは、ホームゲーム3連勝、とは言ってもである。負けないで欲しいとの思いで観戦、ジョーカー氏は3度勝つとカツサンド、菅原新王子は大阪を喰らえとたこ焼きを買って来てくれた。その念が通じたのだろうか、後半チョ ヨンチョルがこぼれ玉をゴールへ押し込んだ。最終タイムアップ直前には5バックの布陣を組み、1-0で辛うじて逃げ切った。ホーム3連勝は、6シーズン振りだと言う。兎にも角にも、ホームゲームの勝利は嬉しいものである。御陰様で、気分良く黄金週を終える事が出来た。
写真は、我が家の一畝の家庭菜園である。今野さんから頂いたアスパラガスが手前に、茄子の苗木が2本、その奥に胡瓜が3本、支柱も備えて、蔓の伸びるのを待つばかりである。連休中に、草を掻き、苗を植えた。今日見ても、何と無く嬉しい光景である。自己満足の1枚の写真であるが、収穫は覚束無い。 今年も川添展が開催される。妻からの要望で、川に面するアカメガシの生垣の足元の草取りをした。景色として蕗を残して、ドクダミををはじめ大方の雑草を抜いた。その中で、カラスビシャクをひと株見つけた。10年程前、生垣の足元に雑草に混じってある数株を見つけた。その内の一株を採取して、屋上ビオトープに移植したが根付かず、そこで生垣の下に自生する事を良しとした。毎年意識して見守って来たが、今年は、たった一株になっていた。我が家の絶滅危惧種と言う思いである。道端や畑地、川原などで良く目にすると言うが、熊谷近辺では中々見られない。本物を見る前に野草図鑑で名を知った野草を、我が敷地内に発見できたのだから嬉しかった事を良く覚えている。葉は長い葉柄があって立ち上がり、先端に3枚の小葉からなる複葉をつける。花は、花茎を伸ばし、仏炎苞に包まれた肉穂花序をつけるのである。雑草とは言え、その形態は美しく、私にとっては名草そのものである。ささやかな安堵ながら、此処に記事としてアップしたいと思うほどに嬉しかったのである。そして、来年も数を増やしてその姿を見せて欲しいと願うばかりである。 過日、埼玉県の絶滅危惧種が発表されていたが、野の草を大切にしなければと改めて思う。 連休最後日、午前中は、もう少し残った掃除をして、午後は、アルディージャの応援に出掛けようと思っている。待ち遠しかった連休も、過ぎてしまうとあっという間に終わってしまう。期待はしていないけれど、今日勝つと久し振りにホーム3連勝なのだが・・・。
ゴールデンウイーク後半は、親しい友人の通夜式、そして翌3日は葬儀告別式でスタートした。
「この事態を一番驚いているのは本人だと思う。」 と言う奥様の言葉通り、誰もが現実に追いつけず、戸惑うばかりの御逝去だった。不整脈の検査入院と言う程に聞いていたが、入院中に脳梗塞を発症、大病院での速やかな処置を行いながらも最悪の事態になってしまった。享年68歳と言う若さである。 氏の御命日は4月25日、熊谷は27度を越える夏日だった。その夜、そして翌日、雨になった。涙雨である。 弔辞を拝読させて頂く機会を賜った。辛い役目ながら最後に氏へお別れの言葉を言えた事が、有難かった。 逝く友に春の夏日のあとの雨 幻椏 合掌 4日は、埼玉県花植木流通センターに行って来た。ここ数年ゴールデンウイークには、このセンターで植木の苗や草花を購入するのが常である。今年は、蜜柑の苗木、牡丹、都忘れ、エビネと、プチトマト、胡瓜、ナスの苗を買った。実のところ植木を植え込む余地もほとんど無いのが実情なのだが、苗札に「甘い蜜柑」と書いてあったので衝動買いである。酸っぱい夏蜜柑は私だけが喜んでいて、家族のものは誰も食べない。甘い蜜柑は、妻や子供達、そして孫へのプレゼントと言う気持ちなのだが、実を付けて欲しいものである。 午後、晴れ間も出て来たので早速植え込んだ。プチトマトは妻の領分で、2階テラスのプランタへ、胡瓜と茄子は、冬から土を作って来たひと畝の家庭菜園に、牡丹は、ひとつ枯れて発芽しなかった牡丹苑の代替として、エビネは熊谷草の側に、都忘れは既にある処に補充として植えた。作業が終わると、夕方から又雨が降り出した。私にとっては、ありがたい恵みの雨である。 5日は、我等夫婦の結婚記念日で、38回目と言う事の様である。日柄一日、庭の手入れと、妻に命じられるがままに草掻きをした。私なりの美意識と言うかルールがあって、全く手を入れない部分と、徹底的に一木一草さえ許さず掻き切る部分と分かれている。妻には理解不能な我がルールなのだが、今日は私も出来るだけ妻の意向に沿った作業をしたつもりである。結構重労働で、脆弱な私は、酷く疲れているのだが、見渡すと中々気分も良い。 実は、作業時間よりも眺めている時間の方が、ずっと長いのであるが・・・。 ![]() ![]() ![]()
ロタウイルスに罹患し、暫らく体調を崩していたが、大宮アルディージャ・ホーム2連勝の喜びを獲得する為に、昨日コンサドーレ札幌戦の応援にNACK5スタジアムに出掛けた。
昨年は、最下位福岡にホーム、アウェーとも負けている。このもろさが大宮の弱点である。札幌戦に負ければ、折角埼玉ダービーにに勝利した価値も消えてしまう。今は上位・下位チームの差別無く、必死に勝利して、勝ち点3を獲得する事である。そのためにどうしたら良いか、監督が戦略を持ち、確り選手を観察し、その思いを実現できる選手でチームを作れば良い。機会を与えられた選手は、持てる才能を全面に出し切って愚直に勝利の為にプレーをする。この極めて単純な構図が大宮の監督には欠けている、と思えて成らないのである。 今試合も、開始10分カルリーニョスのヘッドで先取点を獲得。大量得点を期待しながらも、追加点を取れぬままに大宮の悪しき癖が出て、抑えきれず前半ロスタイム1分のところで同点。後半71分に青木のゴールで2-1、負けはしないと思いながらも、勝点3は取れるだろうかと言うゲーム展開に、緊張もした、。その意味では大いに楽しませて頂いた試合に成ったのだが、正直疲れた 昨シーズンのホーム2勝目は、1シーズン掛かってラストゲームであった。2連勝は一昨年の11月以来2シーズンぶりだという。ジョーカーさんが、「カツサンド」を差し入れてくれたのだが、「今日、3度目を勝つ」と言う切ない思いが通じ、勝利できた。カツサンドも頬張り、ビールも飲み、ゲームの後の勝利の宴も盛り上ったのだが、1週間低位をキープしてきた体重は、脆くもこれで元に戻ってしまった。ダイエットの要諦は、食わない事である。 熊谷椿の花は、大型である。我が家の熊谷椿は、細い枝の先に咲き、その重さで皆地に顔を向けている。必然的に、写真を撮る時は天を見上げ、下からあおる様にシャッターを切る事になる。花の命を終え、重力に抗しきれなくなると椿は、花弁が散る事無くそのままに落ちる。落椿は、椿の傍題で、春の季語になる。 熊谷椿の地に落ちた姿が、高所にある花を見上げる以上に椿の大きさを実感出来るからだろか、また鮮烈である。この強い印象は何故か、私は、地に落ちている椿がことごとく上を向いている事に気付いた。下を向いて咲く熊谷椿が、落下の瞬間身を翻して反転し上を向くのか、地に落ちた衝撃でバウンドし上を向いたのか私には判らないが、大方が蕊を天に向けている。今年だけの偶然なのか、熊谷次郎直実の名を冠したこの椿の業なのか、と思いが広がって行くのも悪くない。 落椿熊谷(くまがい)の名の散りて立つ 幻椏 ![]() 熊谷市出身の作家 森村誠一監修の「写真俳句ブログ」が、盛況の様である。私はネットで知り合った最初の友人「天童の家」の今野さんを通して青萄さん、流星さん、茜さんなど、極めて優秀な俳人を知った。刺激的な御句を発表され、日々大いに触発を頂いている方々である。加えて秀逸な写真を添える写真俳句作家であるから、恐れ入る。私には真似の出来ない才能である。 森村誠一氏を中心に「写真俳句」のコンソーシアムが確りと確立している様である。「誰でも参加できる写真俳句のコミュニティーサイトです。あなたもブログ(日記)に写真と俳句を付けて毎日感じたことを記録しませんか?登録無料!料金はかかりません。」 と言うサイトに掲載されているブログを覗くと中々面白い。何よりも吃驚するのが、1日の訪問者の数がどのブログも半端でなく多い事である。この盛況振りが、何とも眩しくもある。 今回、我が句を使って流星さんの写真とコラボレーションと言う、またと無い機会を賜わり、、流星さんのブログに発表下さった。 句帳に句空欄のまま百千鳥 幻椏 我が句に、ビジュアルなイメージが付加されると、又別物である。俳句は本来片言、詠み手半分、読み手半分のもの、そこに写真家も参加下さるのだから面白いものに成るるのもうなずける、と言う事である。 流星さん、ありがとうございました。 極めて地元の話を付け加えれば、森村誠一の憧れの初恋の女性は、ジョーカーさんの御母様だったと言う。タウン誌の記者が、森村誠一氏へのインタヴューの折に出た話を、、ジョーカーさんに確認した事で我々の知る話になったのだが、同窓生であった御母様は、残念ながらその事を知らなかったと言う。今でも美しく、凛とした方であるから、森村誠一が憧れた事も、御母様が御気付きに成らなかった事も、良く理解出来るのである。
ロタウイルスによる症状なのだろうか、酷い下痢が止まらず、ついに昨日は寝込んでしまった。体調は、通常でも低空飛行で快い日は猫にも劣り、年に3日も無い私であるが、寝込むほどの事態は前を思い出せない程に久し振りの事である。
この下痢症は、水のような多量の下痢便が出、便の色も白っぽくなることから、白色便性下痢とも言われるそうで、小児仮性コレラ、白痢などとも呼ばれていると言う。我が症状も全くこれで、孫陽以と同じウイルスに感染したらしい。12日に緊急避難してきた陽以の家族は、元気になった彼をつれて10日ぶりに帰って行った。爺は、可愛い孫の追体験を遅ればせながらしているのである。 今朝、体重計に乗ったらなんと2.5キロも減っていた。ダイエットの基本は、如何なるダイエット法にもまして食べない事を実感。今日の仕事をキャンセルし、もう暫らく静かにしていようと思うのである。 我が家の最後の桜が花開いている。何かの会のお土産に桜の苗を頂いたものであり、その苗札に里桜と書いてあった事を記憶している。サクラの園芸品種を一般にサトザクラと呼ぶ事から、この桜を里桜と言うのも間違えでは無いのだろう。花弁が一重のものと八重のものがあるようだが、我が家の里桜は一重である。きっとこの桜にももっと真っ当な名前があるに違いないが、園芸品種のうち、現存しているものは少なくとも300品種以上と聞くと、アバウトに里桜で充分な気もする。熊谷桜に比べて花は大きく、花びらは微妙に縮れていてるのが特徴で、中々美しい。昨日は、好調浦和レッズをホームに迎え、埼玉ダービーが開催された。 私は、孫のロタウイルスが移ってしまったのだろうか、昨日から体調を崩していた。幼児の病気と思っていたロタウイルスが、私まで罹患してしまうとは、老化が著しく進んでいると言う事なのだろうか。スタジアムに着くなりトイレに駆け込み、落ち着いた観戦もままならなかった。 レッズサポーターに負けじと、写真の様なサポーター席のパフォーマンスを試合開始直前、初めて目の当たりにした。この意気や良しと思いながらも、体調同様沈む意識は、今日も勝ちは無いと思っていたのが・・・。試合開始間も無く、8分チョ ヨンチョル のゴール、27分にはレッズキラーのラファエル のヘッドで2点目の得点、何が起きているのかと我が目を疑う程にアルディージャの攻撃がいつに無く冴えていた。前半を2-0で凌ぎ、後半はレッズの猛攻を全員で守り切った。体調の悪さと、冷え込みと、緊張で、肩が凝り頭痛を覚える程だったが、ゴールキーパー北野のファインセーブも何度と無く見られ、彼のプレーに批判的な私も、この試合ばかりは納得し評価をした。ホーム初勝利と言う番狂わせを勝ち取りながらも体調の悪さは、めったに無い勝利の喜びを爆発させる事が出来なかった。次節、札幌戦には、体調を整えて望みたいと思うのだが、ポロリと取りこぼすのが大宮である。2週連続の勝利を、願わずには居られない。
munixyuさんこと 「むにゅさん」 の個展が開催される。ずうーとmunixyuさんとして我がブログにはそれ以上の彼の紹介を控えて来たが、彼はスーパーマンだと私は思っている。数学者であり、画家であり、詩人であり、今は我が句友でもある。思わぬ出会いを頂き、幸いにも我が友人としてお付き合いを頂いているのだが、彼のお許しを頂き、改めてmunixyuさんこと「むにゅさん」を御紹介させて欲しいと思う。宗本智之の名で御検索頂くと、彼が如何にスーパーマンであるかを御理解頂けると思うのである。
彼から頂いたメッセージの全文を、我がブログに転載させて頂く。 展示会「飛行機雲」開催のお知らせ 宗本智之 おひさしぶりです、宗本智之です。突然ですが、この度4月25日(水)から4月30 日(月)に、守口市民会館(さつきホールもりぐち)2F市民回廊ギャラリーで、小規模ですが、宗本智之の展示会「飛行機雲」を、小学校の定年退職された先生方が、有志で開いてくれることとなりました。たいしたものではありませんが、今までの出版物「私の世界」「心の旅」「七色の詩」からの抜粋や新聞記事などを使い、宗本智之というものを漠然と計15枚程度の大判パネルでの写真展示により表現しています。 盗難防止などのこともあり、現物は展示していませんので、すでに私の出版物をお持ちの皆様には、同じことの繰り返しの羅列となってしまいますので、私のことをご存じない方や、ご興味のありそうな方や、お近くの方にお知らせ願います。入館料は無料です。 作品展を成功させる会を発足させ、資金集めにカンパを呼び掛けたり、パネルの用意など、有志の先生方がかなり奮闘してくれた展示会です。私の様な人間がいるということを、多くの方々に知ってもらいたいという、先生方の気持ちを尊重したいですし、せっかくのご好意とご苦労を無駄にするわけにはいきません。できるだけたくさんの方々にご来場くださるよう、宣伝よろしくお願い致します。なお会場に私はいませんが、ご了承ください。開催時間は午前10時~午後6時(最終日は午後5時)です。期間中は先生方が誰か滞在しています。 守口市民会館(さつきホールもりぐち) 住所 守口市京阪本通2丁目13番1号 電話 06-6993-0131 アクセス ●京阪守口市駅より北へ徒歩約5分 ●地下鉄谷町線守口駅より4番出口西へ徒歩約1分 残念ながら私は、お邪魔出来ない。が、守口市には、若いころ住宅の設計をさせて頂き、良く通った街である。むにゅさんとの御縁を感じながら、久し振りに、この展示会「飛行機雲」の御案内をさせて頂くために、クライアントの方に電話をさせて頂いた。四半世紀を越え、今でも快適に暮らして頂いていると言う。ありがたい事に、むにゅさんの展示会にも必ず行って下さる、とお約束を頂いた。 御盛会を祈りながら、お近くの方には是非彼の作品を見て頂きたい、と請い願うばかりである。 屋上ビオトープを作ったのが2001年12月中旬、完成したとは言え、植え込まれた木々は葉が落ち、常緑樹のアラカシの葉が僅かに緑色をしていただけで、冬の寂しい景であった。春になり、木々は芽吹き若草が萌え出すと、私は驚くほどに春を感受出来た。高々22㎡のビオトープに触発されて、自然を見る目が変わっていたのである。第1に、雑草への思いが変わった。車に小さなスッコプを積み、畦道に咲く名も無い可憐な花を採取し、ビオトープに移植した。当然の成り行きとして、山野草図鑑は我が愛読書の一つと成って行く。2002年の8月には、カキドオシ、サギボケ、カントウタンポポ、ジシバリ、キツネノボタン、カタバミ、シャガ、ネジバナ、アマドコロ、ホウチャクソウ、など数えてみると45種の名のある雑草を移植し、ビオトープに自然に生えたものは判る名前だけでも25種を越えた。 あれから10年、自然の植生は大いなるものの意思に従い毎年その様相を変えていく。何度植え込んでも消えてしまうもの、たった一株の移植で盛大に繁殖を成した物など、様々である。ここ数年私は、それを静かに眺めている。今日紹介する白い菫は、道端に生えていた1株を我が家に移植したものである。白花菫、白菫と、調べてみると白い菫の種類も多い。が、これは何と名の付く菫か知らない。野草を良く知る先輩からは、「これは帰化植物なので自分の庭に見つけたら抜いてしまう」 と言っていた。流石に外来種、旺盛な繁殖力は、高々数年で我が庭の一角を占有する程である。私は、素性は悪くても花の美しさとこの風景を結構愛でているので、抜いて処分する事は無い。 でかい靴二足連休の里帰り2000年5月の句である。当時息子らは学生で家を出ていた。ほとんど我が家に帰る事も無く、久し振りの連休に帰って来た時の一番の印象は、息子達に言葉を掛ける前に玄関にあったでかい靴2足だった。あれから12年、不思議にも小さな白靴が、堂々と鎮座している。 実は、ロタウイルスによる感染症に陽以が罹患し、新米ママは一人で酷く怖い思いをした様である。発熱、嘔吐、激しい下痢と救急車を頼んで病院に搬送されたとの連絡が入り、急いで妻と娘が、東京の日大病院まで出向いた。優秀な小児科のドクターが熊谷に居る事から、熊谷にそのまま避難して来たのが12日で、孫の大儀な様子が痛々しい程であった。勿論、そんな情況では、靴を履く程元気も無く、あやしてもにこりともしなかったのだが、昨日から白い小さな靴が玄関に置かれている事に気付いた。私は、忙しさにかまけ近くに居ながら中々孫にも会えないのだが、今朝は非常に機嫌が良かった。 そんな、陽以が元気になった印の白い小さな靴なのである。
花芽を持った熊谷草の一番大きな株が、根元で折れていた。植え込んで後、順調に成長していた矢先であり、酷く動揺した。我が庭を、野獣の様に走り回る野良猫の仕業らしい。床の周りには、棘のあるグレープフルーツの枝を置いていたのだが、その効果は無かった様だ。それにつけても、何で一番大きな株を、と只々残念に思うのである。
落胆の中、救いは今年も熊谷椿が咲いてくれた。熊谷椿は、昨年のブログに詳しく書き留めている。ほぼ放念をしていて、私自身、なるほどと思うのであるが、「熊谷三花」 実現のために、残った熊谷草に是非とも花を付けて欲しい、と願うばかりである。
地元八木橋百貨店で12日から17日まで、「大佛師 松本明慶 佛像彫刻展」が開かれている。熊谷に深い御縁を持つ松本明慶氏の思い入れもあり、同百貨店の115周年創業記念祭特別企画として、阿弥陀如来、観音菩薩など大小約200点の仏像が展示されてる。
松本明慶氏とは、父も縁を頂いていた様で、父逝去の折には丁重なお手紙と共に香木の大鋸屑を御香としてお送り頂いた。仏壇に飾られている阿弥陀如来像は、先生の作品の様である。私は、お目にかかる機会の無いままに、以後毎年節分状だけは送らせて頂いて来た。 13日、この彫刻展の為に御来熊している松本明慶氏の、「仏の心 人の心」 と題した特別講演が埼玉信用金庫熊谷支店で開催された。初に名刺交換をさせて頂いたが、一芸に秀で、極めた方のお話は、丸ごと抱え込む事が一番である。仕事を通して構築された生き方は明快で優しく、講和の後質問をと振られたが、成る程と納得する以外に余地は無い。ゆっくり議論出来る事が可能ならば、楽しい時間に成るだろうが、それも叶うまい。後で思えば、1000年に1度の大震災の前と後では、どれ程の意識の差を感じていらっしゃるかを、聞いてみたかったと思うが、これも本来質問と言う範疇のものでも無い。 14日には、東日本大震災で被災して熊谷市内に避難している方々の情報交換の場を作り支援する 「ふるさと交流サロン」 主催によるお花見会が開催された。「日本桜100選」 に選ばれている熊谷堤の満開の桜の下で計画していたイヴェントだったが、朝からの雨の為に残念ながら 「さいたまコープ熊谷店・コミュニティールーム」 で行われた。私も、少しの間参加させて頂き、お話をさせて頂いた。1年前を思えば、お花見どころの余裕も無い情況だった。こうして花見をテーマに集える会を開催出来る事が、何よりも幸いである。この会に参加する御家族は、福島から熊谷への避難者で、望郷、帰郷の念を強くお持ちの方々である。今後、帰郷出来るかどうかも予断を許さない状況にある事も事実で、熊谷での時間を心地良く過ごして頂ける様、私達に出来る精一杯の自立支援を続けて行きたいと念じている。 そして昨日15日に、鴻巣「花久の里」で開催された、ケーナ奏者 岩川光君と サックス奏者 鈴木広志氏によるコンサートに参加した。管楽器2本、それも圧倒的に音量の違う楽器のデュオが成立するのだろうか、と強い危惧を感じていた私であったが、心地よくも見事にその思いを裏切ってくれた。光君の天才振りは何度もこのブログに記して来たが、鈴木広志氏も凄い。一切PAを使わず、バリトンサックスとケーナの音がバランスされ、今まで経験した事の無い豊饒な音楽的体験をさせて頂いた。どれ程の秘密が、この二人の中に隠されているのだろうか、私の想像を超える領域のコンサートに、極めて知的な興奮と満足を覚えたのである。「翅わっててんたう虫のとびいづる 高野素十」 の句の様に、アンコールで演奏された曲は、ケーナとソプラノサックスが響き合い、、ホールを割り大きく羽ばたく様な、眩暈を覚える程の不思議な音空間を経験させて頂いた。 以上、ここ3日の出来事である。
munixyuさんから、「しいたけさえも育っている庭なのですから、次の熊谷草は、しっかり根付くと思います。」 と励ましのコメントを頂き、嬉しく思いながらもこう言われてしまうと恥かしさが募る。百聞は一見にしかず、と言う事で、恐縮ながら今日の椎茸の写真をアップさせて頂くことにした。
思いがけず出てきた椎茸を嬉しく歓迎しながらも、申し訳ないばかりである。勿論、陽を覆う天蓋としての柿の葉は無く、風通しの良いテラスに置かれたほだ木に週に1度の水遣りで冬の乾燥を凌げる筈も無く、ひび割れ、巨大なオブジェと化している。今は、椎茸の軟らかさは無く、猿の腰掛程に硬い。それを承知で、我が家の景として私は愛でて来たのだが、「しいたけさえも育っている庭」 と言われてしまうと、その実態を明かさざるを得ない。munixyuさん、ありがとう。熊谷草は、頑張ります。 我が家の庭の様々な場所に熊谷草を植え込み栽培を試みながらも、気難しい和蘭の女王は、次の年に発芽さえしてくれなかった。そこで2009年2月、改めて適地と思われる場所に深く穴を掘り、排水を考慮しながら腐葉土を土に混ぜ、熊谷草の床作りをした。その年熊谷草保存会 栗原会長から頂いた根を植え込んで、大きな葉を繁らす事が出来た。2010年、越年をして初めて発芽し、嬉しくも花を見る事が出来た。2010年4月21日のブログには、晴がましくもその写真をアップしている。翌2011年、落ち葉を掻き分け発芽の確認をしたのが間違いだった。不注意にも幼芽を折ってしまったのである。順調ならば、1年に1株づつ増えていくと言う熊谷草だが、残念ながら外に発芽は無く終わった。この1年、新たな株を御紹介頂こうと熊谷草保存会の方々にお声掛けをしていたのだが、中々見つけられずいた。 改めて貴重種であることを実感していたのだが、妻がインターネットで見つけて購入したと言う。ミズゴケに包まれて送られて来た熊谷草の3つの根には、6つ程の芽が付いていた。聞けば1芽1000円を越える高価な物である。8日の日曜日、丁重に床に植え込んだ。直射日光を嫌うので、遮光シートで覆いもした。根付き、成長して花を持てばラッキー、長く此処に居続けてくれたらもっと嬉しいのだが、気難しい女王様の御振る舞いを見守りたいと思っている。写真は、エビネの周りに植え込んだ熊谷草の今日の様子である。
2011年度の朝日俳壇入選句を纏めた 「朝日俳壇2012」 がそろそろ出版されるだろうと思い、懇意にしている本屋さんに予約のお願いに行った。何気なく書棚を見ると、既に並んでいたので、直ぐに購入。選者の選択とコメント以外著作料はゼロと言う朝日俳壇入選句を纏めただけの本としては、2800円に消費税、2940円と言う書籍代は何とも高額である。これだけのコストを払えば新鮮で奥深い知識を頂ける本が沢山あると思いながらも、初入選の2000年以来、我が書架には確りとバックナンバーが並んでいる。昨年は、購入しながら紛失、何処に忘れたか、我が家の何処かに押し挟まっているのかも知れないが、やむなく2冊目を買った。悔しくもあり、何とも残念な事である。
昨年1年の金子兜太選 年間秀句は、以下10句である。 懸大根ラファエロのふくよかさかな 河合 清 初夢や一直線の獣道 野崎憲子 冬眠のとぐろの芯を夢といふ 三方 元 湯たんぽも母も単純明快なり 伊佐利子 誰が統(す)ぶやこの荒涼の春の惨 加藤 宙 福島は暗黒大陸桜咲く 岡崎正宏 フクシマの哀れ桃の実色づくよ 兼谷木実子 樹下に居て天思う音梅雨に入る 時田幻椏 三陸の行方不明に秋の闇 足立戚宏 霧の景割れてきらきら露の景 内野 修 金子先生の 年間感想 は、以下の様に綴られていた。 「東日本大震災を対象にした好作品が現れたのは4月18日発表の加藤宙からだったが、足立戚宏の作品までつづき、あと哀痛の念を内野修、フクシマの苦しみを事実に即して兼谷木実子が書きとっていた。ここに、早い時期に岡崎正宏が「福島は暗黒大陸」だ、と書き切ったことへの反撥乃至大袈裟過ぎるとした投書があったが、間も無く消えた。事実が証明したわけで、私は岡崎の大胆な直言に感心している。 そのなかで年間賞に時田幻椏の作品を選んだのは、今次災害を深く思いやって、それこそ天にまで到るその腰の据え方に感心したからである。「天思う音」が言い得ていた。」 有り難くも、身に余る句評を頂いた。只々、この句を授かった幸運を思うのである。
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