「獲得形質」とは、環境要因あるいは器官の用・不用により得た形質で、後世に遺伝的につたえられないもの、と辞書には解説されている。
すでに45年も前に成るのだが、高校生時代 「獲得形質は遺伝する」 と言う新聞記事を目ざとく見つけて友人と欣喜雀躍した事を鮮明に覚えている。ある行為を学習させたラットのリボ核酸を異なる個体に注入すると同様の学習効果を発揮する事を実験で確認した、と言う程の記事だったと思う。なぜ学ばなければならないのか、と言う素朴な疑問を持って居た高校生は、「数学を一生懸命学ぶと数学の得意な子供が出来る、嬉しいじゃないか・・」 と言う話で盛り上がったのである。必要な事も、昨日の事も忘れてしまう哀れな我が情況だが、何故かこの事は鮮明に覚えている。語り合う友人の表情までもである。
ふと今朝、「獲得形質は遺伝する」 と言うフレーズを思い出している。一子相伝、御家元制度などを見ても世襲は理に叶っているのかも知れない。とは言え、我が子供達に私の獲得形質がどれ程継承されているかを思うと、危ういものであるが。
陣中見舞いを申し出た建設業者、に相変わらず拘泥する私がいる。基本的に建設業者では無く、その個人の問題なのだが、魚屋でも餃子屋でも家具屋でも洋服屋でも無く、報道のリアリティーは建築屋なのである。我社は創業85年を超え、すでに3代目の獲得形質が私の中に身体化している。個性を漂泊しても我が形質は、建築屋なのかしら、とふと思ったのである。