綸言とは、天子・天皇の言葉を意味する。「綸」 は組糸の事で、天子の言は発せられた時は糸のように細いが、これが下に達した時は組糸のように太くなる、と言う意味だと言う。そこから 「綸言汗の如し」 と言う諺が生まれた。「出た汗は再び体内に戻らぬ様に、君子の言葉は一度発せられたら取り消せない」 と言う事なのだが、今日、この感覚は無い。すでに君子は不在である。たとえ一国の総理大臣と言えども愛すべき等身大の人間であるし、出た汗は直ぐにスポーツドリンクで補わなくてはならないと言う事は生理学の常識で、出た汗に執着が無い。だからだろうか、なべて政治家の言葉も、蝶が舞う如く喋喋として軽い。
舛添要一前厚生労働大臣が新党結成の意向を固め、近々の内に自民党を離党すると言う。老人新党と揶揄されながらも、私はそれなりに評価していた平沼赳夫元経済産業相(70)、与謝野馨元財務相(71)ら国会議員5人による新党「たちあがれ日本」に対して、中々賢い独自の距離感を持っていると思っていたのだが、単なるポピュリスト、人間としての徳の無さを露呈してしまった様である。人気と実力は決して同一のものでは無い事を、同世代の人間として見せ付けられて行くのも、辛いが・・・どう展開して行くのだろうか。
自民党は、これからが重要である。これまでを確り総括して、日本の保守を明確に再構築する責任が在る。出る事よりも、居続ける事からの革新を良しと思うからである。