入れものがない両手で受ける
咳をしても一人
春の山のうしろから烟が出だした 放哉
小豆島は、尾崎放哉終焉の地である。大正14年8月から15年4月までの8か月、南郷庵(みなんごあん)庵主として暮らしている。上記3句は、南郷庵で詠まれた216首の内、中でも放哉の代表句として良く知られている。
1926年(大正15年)4月7日午後8時、南郷庵にて、41歳で逝去。「春の山うしろから烟が出だした」 は辞世の句とされている。
今回も、柳生氏に御案内頂き、尾崎放哉記念館を訪れた。南郷庵が復元され、その中に資料が展示されている。盛んに鶯が鳴いていた。真夏を思わせる強い光の中、初めて墓参もさせて頂いた。大空放哉居士と戒名の書かれた墓は、思いの外に確りしたもので、海を見渡す山の中腹にあった。
今日、閉塞感の強い不自由な時代を反映してか、放哉や山頭火がブームに成っている。自由律と言う句形と共に、何物にも囚われない彼らの漂泊の人生に憧れを覚えるに違いない。荻原井泉水(せいせんすい)の紹介で南郷庵に辿り着くのだが、大正11年朝鮮に渡り、翌年罷免されると言う失意の中で、半島から島に移り住む偶然を、在る種の必然と思うのは私だけだろうか。小豆島の持つ力を思うのである。
烟の山の放哉の墓に緑陰無し
小豆島放哉の墓あり老鶯の島 幻椏