秋雨前線が南下をして、今朝は秋気を感じる。とは言え今日もまだまだ厳しい残暑に成ると言うが、やっと季節が動いて来た様である。
人間には生理的な好き嫌いと言うものが有る。随分古い話だが、学生時代の友人が1度の見合いで結婚を決めたと言う。そんな馬鹿な、と思ったものだが彼は、「生理的に好きなタイプだったから。」 と言った。酷くその言葉がショックで、今でも忘れられないでいる。
浜矩子同志社大学教授が、毎日新聞・時代の風に 「ものは言いよう」 と言うエッセイを書いていた。又、昨夜もテレビに出演、今日の円高問題を語っていた。この浜矩子先生、声も顔付も表情も私の最も不得意とするタイプで、申し訳ないが生理的に駄目な女性なのである。だから、彼女の語る本意を受け取るまでも無く拒否であった。浜教授は、「円高を裏返して言えばドル安である。円高とドル安は表裏一体ではあるが、裏と表は似て非なるものである。」 と言い、明らかに今日の状況はドル安であり、1ドル50円に成る可能性さえある、と言う。つまり、アメリカ経済を世界が必死で支え、強いアメリカを温存する事でカタストロフの回避を暗黙のうちに許容して来たが、すでにそこに綻びが始まっている。1ドル100円の安定的期待状況から、アメリカ経済は徐々に半分のスケールに縮減して行く可能性の始まりに外ならないかも知れない、と言う。それに対応する新たな世界システムの構築と、国内的に言えば、地域ごとに使用可能な地域通貨という2重構造も考えられる、と言っていた。「浜先生の様に、ダイナミックな発想はございませんが・・・、」 と言うレギュラーコメンテーターの発言に、浜先生が笑った。初めて見る笑顔である。それでさえ好きな顔では無いが、浜矩子同志社大学教授の発言を、このブログに書き止めようと思う程には成ったのである。兎に角、大変な時代である事は疑いようも無い。
午後には、民主党代表選挙の結果が出る。様々な価値の基準とシステムが機能しなくなり、全く新しい知恵による社会の構築とそれを実現するリーダーシップが求められている。どんな結果が、どんな現実を作って行くのだろうか。