最近のSNSの氾濫振りに、私はいささか尻ごみをしている。一応フェイスブックの登録をしているからだろうか、過日友達紹介のメールが入って来た。私は、いささかSNSに煩わしさを感じているので、失礼ながら全てに対応せず放置しっぱなしなのだが、その方のフェイスブック上の友達の数に吃驚した。なんとその数5000人である。フェイスブックに登録する方々がどれ程の友達の数をお持ちなのか存じ上げないが、顔と名前を覚え、人となりを知り、いささかのコミュニケーションを持つ我がキャパシティーのディメンションが一桁違う。特に最近は、名前が覚えられず、日常生活でも不具合を感じている私としては、驚異の数である。
最近のITの進歩はめまぐるしく、私の様なアナログ人間を巻き込みながら超高速で拡大している。その中で、人間の関係性の基本的な部分まで変質している様に思われてしかたない。即断即決、レスポンスの速度が求められ、いささかの遅れも許されない。そこに情を介在させても、基本的に脅迫概念からは解放されず、新しいストレスに成っている。自然に我が感性も微妙に変化し、すでに10年前、20年前の私自身に戻れない。
1998年、長野オリンピック観戦の夜、ホテルにパソコンを持ち込んだ友人が、「能味噌の拡大を感じて、凄い・・」 としみじみと語った事を良く覚えてている。何をオーバーな事を言ってるのかとある種の反発を感じたのだが、その後私もパソコンを触りだし、こうしてブログを書いている。便利な筆記用具を獲得したと嬉しく思うが、脳味噌の劣化は感じても拡大充実の実感は程遠い。
便利さを享受しながらも、新しい恐怖に怯えながら生きている。穏やかな安堵は、この社会に浸かっている限り無いのかも知れない。アナログ人間の悲しさであろうか。