秩父の蕎麦処こいけが、この9月をもって閉店をすると言う。それがニュースになるほどの有名店で、閉店を惜しむ客で連日大賑いと聞いていた。
店主の小池さんとは、1984年からのお付き合いで、随分と長く御厚誼を頂いて来た。
初めてお会いしたのは、利き酒選手権埼玉県予選会だった。県内各地税務署管内から地区予選を勝ち上がって来た中に、小池さんと私が居た。小池さんが優勝、幸い私が準優勝と言う結果を頂き、2人で1985年度「都道府県対抗全国利き酒選手権大会」に、埼玉県代表として参戦した。鹿児島、沖縄を除く各地から送られた選手が、2人1組となって利き酒をする。当時は、吟醸、純米、本醸造、原酒、甘口、辛口と言う6種類の酒がランダムに2つのテーブルに並べられていて、それをテ―スティング、好きな順にランキングをし、2つのランキングが一致すれば勝と言うゲームである。減点方式で、ランキングがすべて正しければ減点0、仮に最初のテーブルで1位にし、次のテーブルで6位とすると,6−1の二乗倍の25点が減点となる。これで6−1、1−6の二乗、50点のマイナスとなってしまう。新宿のホテルの地下の大会場で、3組に分かれ利き酒をした。日本酒最大のイヴェントで、テレビカメラも入り、騒然とした中の3組目の利き酒だった。すでに会場は酒の香が充満し利き酒をする環境では無かった事を記憶している。事実、1組目には満点が複数人、2組目は1・2人、3組目はゼロだったと聞く。つまり私達は満点を取れないながらも、2人の総和が最小だったと言う事で優勝の栄誉を得た。ちなみに次年度ディフェンディン・チャンピオンとして1組目で利き酒をさせて頂いた時は、私も小池さんもマイナスは無く、満点だった。こんな出会いを頂き、以後、親しくお付き合いをさせて頂いて来た。
私のこいけ通いも始まり、これが最高と言う蕎麦を食させて頂きながら、蕎麦の流儀と奥行きの深さをお教え頂だいたのである。
24日、皆野町に入る前に、秩父まで足を延ばした。11時開店、私は11時を少し回った到着となり、1巡目の客に成れなかった。すでに15名の行列が出来ていて、入店まで1時間かかった。せっかちな私は行列に並ぶ事を快しとせず、思えば初めての経験である。お陰様で読み切れていない雑誌・俳句8月号を随分と読み進める事が出来た。12時を回り、やっと席を得た。小池御夫妻に御挨拶をし、小池さん推薦の酒1合とせいろ2枚をオーダーして、最後のこいけの蕎麦を味わい、嚙み締めたのである。