我が社の定例として、正月、5月、9月の年3回 成田山新勝寺への参拝を欠かさない。祖父の代から父、私へと引き継がれている。私自身の宗教観や今日の状況を考えるとパスしたくもなるのだが、今日まで続く伝統を、私の代で終わらせてしまう訳にも行かない。祖母、母、妻へと引き継がれた家を護る女の意識は私より確かで、女房からは残り少ない5月を強く言われていた。時間を作り昨日、参拝をして来た。どうにか伝統行事の継続を果たし、安堵を感じるのだから不思議でもある。
何時も車での参拝であるが、時間と体を思うと電車の移動が楽である。本を読み、時に転た寝も出来る。行きは京成線を使い、帰りは単独行動の気楽さもあり、我孫子経由のJRを使って東京に出た。初めて目にする駅名も風景も新鮮で、本を読む事も寝入る事も無く、車窓を眺め、乗り込んでくる人を観察して1時間20分程の小旅行を楽しんだ。東京で気の置けない友人と会い、神田駅ガード下立ち飲み屋を散策した。程好い混雑の居酒屋風のその店は、立ち飲むと言う気楽さが柔らかい空気を作っていた。初体験の私は、少々の逡巡を感じながらも、すぐに慣れ楽しんだ。週に2度この店に通うと言う老人と話も弾んだ。士官学校出身のかくしゃくとしたその紳士は80歳という。彼の自慢話をひとくさり聞き、いささか語り過ぎたと思ったのか、「では、また・・・」と去って行った。立飲みの宜しさか、関わりの程が良い様である。席を得てのくどい酒に成らない所が嬉しい。都市の匿名性を上手に使いながら、皆さんリーズナブルな酔いを楽しんでいる。私達も勢いに乗って2軒目へ梯子、バーカウンターで洋酒を売る小さな立ち飲み屋に潜り込んだ。カウンターを挟んで1間の幅、長さ2間ほどの小さな店である。ハイボールを頼み、懐かしい味を楽しんだ。不思議にもカラオケがあり、常連とおぼしき初老の客が演歌を歌う。マイクが廻され、私も一曲、ダウンタウンブギブギバンドの「身も心も」を歌い、小さな拍手を頂く。1,2杯飲み次の客に場を譲り、店を出た。なるほど、立ち飲み屋の美学を体感し充分楽しみ、熊谷に帰ってきた。都市のアノニマスに紛れ込む快感、全てオニマスに成ってしまう熊谷では成立しないビジネスなのかも知れない。