憂鬱は妻沼太田へと続いている。 (無限小数の無限連続のたとえとして、熊高数学教師星野先生が良く使われた、懐かしいレトリックである。)
自民党大敗は、高次の問題として捕らえたいとと思っていたが、選挙後のどたばたを見ていると、単にバンソウ膏の問題であったり リーダーシップ不在の個人的能力の問題であったりと、瑣末なところに帰着してしまいそうである。とは言え、安部首相を引責辞任に追い込めない自民党の御家の事情も垣間見えるし、理解も出来る。思えば安部首相に対する強硬論も、ギリギリ自民党の健全さを演ずる振り、仕組まれた狂言なのかもしれない。ねじれた衆参両議院をどうバランスして行くのか、他人事ながら憂鬱な日々はしばらく続く。
携帯電話を交換して1週間。突然送信メールの記録画面が異常反応を起こし、この先重大なトラブルも有得ると思い、新機種に交換した。せっかくの交換だからということで、我が娘のプロデュースで最新モデルと交換をしたのだが、これがまた憂鬱を醸成する。5年近く愛用した我が携帯電話は私のオペレーションには極めて都合良く、電話機能、メール、電話番号管理、修正追加もシンプルな操作で完結した。なのに最新機種は、同じ行為を果たすために複雑なプロセスを要求する。システムの進歩が明らかに改悪されている。あまりに煩雑に拡大された機能砂漠に放り出された不安と焦りは、即ストレスであり憂鬱を助長する。進歩のディテールを積み上げていく間に、本質から遠く離れた迷宮に迷い込む事を強いるのである。取り扱い説明書が、これまた難解で、読んでも理解出来ない。巨大な機能空間を理解できぬまま、ほんの少しの携帯電話の機能を使うだけで終わってしまいそうである。この不条理を思う我が憂鬱に、きっと同質の憂鬱を安部首相も感じているのかも知れないとふと思った。軽く同情の念が、少し涌いた。