うす紙に残りし紅や四月尽 幻椏
月の終りを言う季語は、古くから三月尽(弥生尽)と九月尽とが並べ用いられて来た。春の終り、秋の終りと言う季感が、日本人の心に沁みる感慨の籠った季節であるからであろう。太陽暦に改めてから、弥生3月を晩春とは思わなくなった。そのため四月尽と言い替えて、春の終りを意識する季語と成っている。季語における旧暦と新暦の差は悩ましい。私は、確り意識しながら今に生きる実感を優先させれば宜しいと思っているのだが・・。
四月尽と言う季語を使った我が句を探したが、この1句だけだった。もう少し作っていた様に思っていたのだが、全句帳を見直して、私自身ちょっと吃驚で有る。最短詩形と言う俳句の凄さは、驚くほどに俳句を作ったその時の事を覚えて居るものなのだが、どの様な心情でこの句を書き留めたのかすっかり忘れている。こんな事もあるのか、と逆に面白くも思う。句帳に書き置く時すでに、駄句として放り出されていたのだろう。駄句も又、我が句である。