昨日、思えば些細な事に翻弄された1日だった。なんだか気が重く、我がブログを開く事さえ億劫だったのである。
1つには、昨日開催された「中心市街地活性化シンポジューム」に参加した事である。このシンポジュームの開催は、市のインターネットメディア、「ふるさとメール」で知り、参加応募をした。我が会議所松本光弘会頭、市長の名もパネラーとして登場している。実は、この中心市街地活性化をキーワードに既にどれ程の時間を費やして来ただろう。テクノグリーンセンター用地利用問題を含めれば10年を超える。私は、2002年度の整備推進検討委員会委員に任ぜられ1年間、その議論に参加した事もあり、その後も中間報告の形で行なわれた報告会にも足を運んでいる。その後、昨年2月以降2度の中心市街地活性化事業検討会が会議所に投げられ、正副会頭が応じていると言う。私も昨年6月12日、同様の会合に出席、この問題を担当する商業観光課の職員、コンサルタント同席の元で、今後のタイムスケジュール、方針方向の説明、問題点の検討を行い、後に個人的にも市の担当者とも議論をさせて頂いたことを記憶している。正に記憶していると言う以外表現の仕様の無い程に、その後は一切のディスコミュニケーションの状態が続き、そして唐突なシンポジュームの開催なのである。私は、何故今日、このシンポジュームの開催なのか理解不能のままに居た。何故、会頭がパネラーとして登場するのかも気がかりな事もあり、前日お会いをさせて頂いた。幸運にも藤間副会頭も同席頂き、会議所としても深く関わって来た中心市街地活性化問題の今後のスタンスを議論させてい頂いた。当日、シンポジュームパネラーとして最初の発言者となった会頭は、「熊谷の歴史性に鑑み、17号国道、星川に注目、この2つのインフラの緑化を機軸に、新たな風景創造と環境共生都市を実現。中心地域のポテンシャルの向上と共に、懸案のテクノグリーンセンター用地活用問題は必然的な高度利用の方向性が見えてくる。」と、極めて優しい政策の連続性を押えながら、今回のシンポジュームが潜在的に志向する方向性の転換をも肯定する、配慮の発言をして頂いたにも関わらず、コーディネーターも他のパネラーもその好意の意味さえ解らぬまま受け止める事も無く、議論が進んだ。そこには政策の連続性も、積み上げられた時間も関わりつづけた人間の情への配慮も無く、運動としての連続性を絶たれ、イヴェントとして消化されて行く場の貧しさだけが際立って居た。最後の開場からの発言として挙手をしたが、拒否をされた。場を与えられなかった事は、私にとっては幸運だったかも知れない。上手にセットされながらも、豊穣感の無い不毛な荒野に立たされ続けた不快の念を、ストレートに語ってしまったら大変な事になっていた。とは言え、不快の念を抱えたままに開場を後にしたのである。
一晩立てば少しは収まるかと思っていたのだが、相変わらず心穏やかに成らぬ私が居て、この文章である。勿論押えて、配慮の表記であるから、何を言っているのか解らない駄文になっている事は承知、御容赦頂きたい。