日常の危うさを引きずりながらも、毎年同じ記事を、同じ季節に書き続けながら年を重ねている様である。時代も情況も変わりながら、なぞる訳でも無いのだが、変わり映えも無く同じ事を書き綴って居る。人間なんてそんなものなのである。全く新しい事件など、なかなか起こらない。それが日常と言う安穏だと思う。
牡丹の花が、咲き出した。咲き出したと思ったら、一斉に花開いて行く。自転しながら公転をしている地球の速度は思いの外早く、特にこの季節のこのスピード感は特別なのかも知れない。今年の花の写真を撮って、掲載した。ふと昨年のブログを見ると、気恥ずかしい程に同じ様な写真が、同じレイアウトで載っている。
この週末、「危」 という兼題で銀遊句会が行なわれる。未だに一句も出来てない。「ヤバイ」とは、「危」を兼題にした句が一句も出来ない事ながらも、曖昧に歳を重ねているとふと思い、その日常を危うく感じてしまう私が居る、と言う事なのかも知れない。