12月8日は、熊谷総鎮守・高城神社恒例の酉の市である。昨日午前10時より、神社本殿において氏子、特別崇敬者ら、大勢の参加者参列のもと、酉の市祭典の神事が厳かに執り行われた。御払い、祝詞奏上、玉串奉奠を終えた後、氏子総代の松本総代長から御挨拶があり、話の中で酉の市の縁起が語られた。
現在の足立区花畑の大鷲神社を「上酉」、千住にある勝専寺を「中酉」、浅草の鷲神社を「下酉」と称し、江戸時代から続いた酉の市はこの3カ所で行われていた。が、明治時代になり千住・勝専寺の酉の市が閉鎖され、花畑の大鷲神社と浅草の鷲神社とが唯一江戸時代から続く酉の市となった。浅草の鷲神社は東側に新吉原という遊郭があり、酉の市御例祭の日には遊郭内が開放されたそうで、地の利も加わり最も有名な酉の市となったと言う。これを真似て、各地に広まり現在に至っていると言うのである。
また、特別崇敬者の古老のお話では、1941年12月8日も高城神社の酉の市は開催されていたと言。当日、旧日本軍がハワイ真珠湾の米軍基地を攻撃し、太平洋戦争が勃発したと臨時ニュースがあり、急遽酉の市は中止された事を、68年たった今でも鮮明に記憶していると言う。こんな機会で無いと、聞けない話である。
今年も、神社の境内には、宝船や縁起物をいっぱいに飾り付けた熊手を売る市が賑やかに店開きした。100年に1度の大不況である。熊手はどこまで商売繁盛の幸運を掻き込む事が出来るだろうか。不景気の時ほど縁起物は売れると言うが・・・。
ポチッを掻っ込め