仲秋の名月は、旧暦8月15日の夜の月を言う。今年は今日なのだが、月齢で言うと13.7日で、満月は明日23日の秋分の日と重なると言う。昨年の大晦日が満月で新年を迎え、秋分の日がこれも満月、陰陽歴の不思議な偶然の一致である。
この十五夜の日に、暑中見舞いに変わる迎秋の挨拶をさせて頂く様に成ってから久しい。迎春が有るのだから迎秋も可、との屁理屈である。恐縮ながら、迎秋の御挨拶を、我がブログに書き置かせて頂く事にする。
迎秋
今年の異常な夏も彼岸の入りと共に、急速に秋に落ちて行く感じがします。
兎に角、異常な夏と言うほか言葉を選べぬ程の酷暑、気象庁は「この夏の日本の平均気温は、統計を取り始めた1898年以降で最も高かった・・」と発表、私達は、113年間で一番暑い大変な夏を経験したのです。熊谷も、7月、8月の猛暑日は31日を数え、9月に入っても変わらぬ残暑が続きました。夏が長引く中で蓮鉢のもうひと踏ん張りを期待し、一つ二つは蓮花が見られるかと思っていたのですが、あらかじめ用意された花芽は、如何なる猛暑が続こうと新たな花芽を生まぬままに終わりました。同様に、連日の熱帯夜の中にも、それなりに虫の音が聞こえていました。思いの他に、自然は時の移ろいに従順なのかも知れません。自然はそれなりながらも、人間社会は何ともおぞましく、棄老棄縁の実態が暴かれ、不在の老人の数に驚愕したものです。加えて円高・ドル安、今も続く一連の政局にも不毛を感じざるを得ませんでした。この夏の一切の状況を一括りにして捨て去り、全く新しいカウンター・パワーが欲しいと切実に思います。
この夏は、気象史に残る酷暑の年と同時に、歴史の中の特別な位置を持つ2010年に成るかも知れません。我が国の終わりの始まり、カタストロフの年として刻まれる怖さを何処かで感じています。私自身の個の崩壊感覚と共に、これ程の情報化社会に身を置きながらもリアリティーを持ち得ず、目指すべき国家観さえ共有出来ぬ今日の日本への不安が、そう思わせるのです。
皆様は如何でしょう。お変わりございませんか。
暑気に倦んだ老体に鞭打ちながらも、知縁を地縁に戻す地域への拘泥が、今日も必要なのかも知れません。事実、どう頭を巡らしても、地域と言う実感以上に、確たるイメージを持ち得ないのです。
昨年は随分と遅い10月のお月見でしたが、今年は、秋の彼岸に十五夜です。酔って夜中の天中を見上げる以外、気忙しさの中で月を見る余裕さえなかったのですが・・、この情況だからこそ、酷暑の後の名月をたっぷりと楽しみたいと思っています。
皆様の変わらぬ御厚情に感謝し、今後共変わらぬ御指導御鞭撻を 宜しく御願い申し上げます。