昨日の記事に、青萄さんから同意を、そして今野さんから 「>風呂にも入れない生活を続ける頑張りにどれ程の価値があるのだろうか、うう・・・、「価値」のいう次元のもの(こと)でしょうか??」 と御意見を頂いた。どちらの御意見も有難く、御礼申し上げます。
風呂にも入れない生活を続ける頑張りには、そうしなければならない意味も事情もあると思うのだが、「兎は亀を絶対に抜けない」と言う古典的な詭弁に似て、抜き去るまでは絶対に抜けないと言う事と同じ位相に思えるのである。その方に対してどうこう言う事では無くて、様々に被災者の窮状に対して支援の手を差し伸べて居ながら、その手を掴み返せないその理由を正しく聞き取り、不安を解消する理解と情報をさし上げなくてはならないと思うのである。適当な表現では無いかも知れないが、そのシステムが、制度の無い事が、問題だと思う。本来それは行政の仕事なのだろうが、親族、友人、隣人コミュニティーの方々の助言かも知れず、ボランティアの方々や、取材した新聞記者でさえ情報提供の機会は在り得たのではないか、と思うのである。
甚大な今回の震災の復興は長期化が必至である。その長期戦に臨む為にも、最低限の生活環境を確り確保して健全な心身を回復頂き、その上で未来を創り上げて頂きたいと念じている。現在、それぞれ多くの地域から、被災者の方々へ短期・長期の支援プログラムが提供されている。是非、有効に御活用頂きたいと思うのである。
東北地方の一番の財産は人、人口でり、東日本大震災により、地域の人たちが離散してしまう事をトップは警戒している。だから、一時避難をを含め地域から人を離したがらない、と言う話を漏れ聞く。様々な私権を担保し、情報ネットワークを構築し孤立させない為の情報交換を確りとりながら、被災の傷を癒して元気を取り戻して頂いた後に、御戻り頂いたら宜しいと思うのである。
私達が取り組む「オール熊谷自立支援ネットワーク」も、この事態に何も出来ない無力感からの出発であった。差し出された私達の手は非力ではあるが、掴み返して下さった方々には誠実に支援をしたいと念じている。