政治評論家の講演は、上手い下手、面白い詰らないはあっても、それ以上の価値を獲得出来ない。少なくとも、ここから生きる糧を得る類の話では無い。が、上手い方が良いし、面白い方が良いのは当然であろう。この要諦は、自分の立ち位置を明確にし、オフレコと言って語るそのクオリィティーに在る様である。
昨日利いた時局講演は、良く分らないまま終わった。東日本大震災と言う未曾有の事態に対応出来ず、無為な時間が只過ぎて行く感の強い現状を、政治家、政治状況を真近に見る1人の観察者としての詳細な報告が在るならば、政治評論家による時局講演もそれなりの迫力と価値を持つのだろうが、駄目な政治と政治家を駄目として語られる不毛を感じるままに終わってしまった。有名有能な評論家だそうであるから、余計に今日のマスコミの持つも問題点、マスコミ自体のポピュリズムを知らしめられた事が、唯一宜しかったかも知れない。
講演会の中でも出て来た話で、続投コールの出た市民団体主催のパーティーで、再生可能エネルギー買い取りを電力会社に義務付ける法案に強い意欲を見せる菅首相の満面の笑みがフォーカスして語られた。あの笑顔は何なのか、その神経が解らないと言いながらも、それ以上では無かった。再生可能エネルギー推進の方向性の中で、単に発電全量買い取りと言う稚拙な制度を、一部利益を独占するであろう知恵者のおだてに乗って成立させて良いものだろうか、と強い危惧を私は感じている。地域におけるエネルギーのセキュリティー問題は、極めて重要でありながらも、シンプルな問題では無い。電力もまた中枢型から離散型へシフトしなくてはならないと言うパラダイムシフトが現実に成る事は抗えない事実であろうとも、中枢型から離散型へのシステムをどうデザインすれば最も効率的かと言う議論の無いままに、安易に勧める訳にはいかない。全てのフィールドで、分散型と言う社会システムを採らざるを得ない次代も、結局は寡占の構造を獲得しようとする延命容認応援団の底の浅い煽てに乗っての 「満面の笑み」 にこそ問題が在る、と思うである。