本日、ロータリークラブの例会で、この7月に正式に国宝に指定された妻沼聖天山本殿の見学会が開催された。
今年5月18日に文化財審議会は、本殿を国宝にするよう文部科学大臣に答申し、この度晴れて埼玉県における建造物第1号として指定されたものである。ちなみに本県5番目の国宝指定と言う。
修復中は、何度か修復現場の視察をさせて頂いたが、完成し、国宝の指定を受けてからは始めての参観である。我々が良く知る「聖天さま」とは、既に境内の空気が違い、国宝指定の重さを実感させられる。
妻沼聖天山の開基は、治承3年、1179年に斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)が、当地の庄司として、先祖伝来の御本尊聖天さまをここに祀ったことに始まるという。正式には 御本尊を大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)と称し、福運厄除の神、縁結びの神として信仰を集めて来た。聖天さまの御本尊は由緒正しく、日本最古の聖天尊像として知られているという。
御本殿は、奥伝 相の間 拝殿よりなる廟型式権現造りで、建造物の各部材、各壁面を全て精緻な彫刻で装飾されている。日光東照宮造営から約100年後の江戸中期、華麗な色彩が施された貴重な文化遺構として価値を持つ。今回の国宝指定の大きな要因として、権力者の造営に依るものでは無く、庶民の寄進によって賄われた事も起因していると言う。そのため細工始から完成まで25年の歳月が掛かっていると言う。資金難により工事中断がしばしば有った様だ。
保全修復工事は、平成15年より23年の8年間を要し、創建当時のままに復元された。総工費は13億5000万円、内3億5000万円が寄付勧進で賄われたと言う。この思いが国宝指定を導いたとも言える。私達の「聖天さま」なのである。
写真は、上から御本殿正面、向かって左側から透塀(玉垣)内に入り、奥殿の左側壁の上下、裏面の壁の上下、右側壁の上下の彫刻壁、科学的な調査を元に忠実に当時の色彩が再現されていると言う。
それぞれの彫刻には物語があり、人間如何に生きるべきか人生の教訓を多分に含んでいる。見事に復元された極彩色の彫刻を読み解く事も、又楽しそうである。我が町に、素晴らしい宝を頂ける幸運を思う。これからも、何度も通いたいと思うのである。