2001年12月15日が、母の命日で、昨日十三回忌の法要を行った。
14日、娘真緒と実家の祖母を訪ねたのが午後3時、急な腹痛で車から降りる事も出来ず、そのままホームドクターに直行したと言う。急性胃腸炎との診断で点滴を済ませ、自宅で休んでいた。私が帰宅して、様子を聞き、一言二言声を掛けたのが最後になるとは想像だにしていなかった。翌朝早く、腹痛は治まらず、激しく成るばかりと言い、娘と妻の二人で医院に運んだのだが、医院に到着して間も無くショック状態と成り、救急車で病院に運ばれた。妻から連絡を受け、直ぐに病院に駈け付けたが、状況に追い付けぬまま事態は悪化するばかりで、緊急手術と成った。手術場に運び込まれた時には、心肺停止状態だったと言う。蘇生を御願いし、開腹手術を行って頂いたが、助からなかった。脳、肺の梗塞は多くの事例があり、それなりの速やかな対応が可能なのだろうが、内臓で起きた梗塞は、初期段階では単なる腹痛と見られ、最悪の結果と成ってしまった。死因は、直腸壊死、と書かれていた。腹痛を訴えてからたった1日で、母は逝ってしまった。
病院の廊下真白に年果つる
一日病み急ぎ逝く母ぬくし冬
通夜の酒飲む程に澄む冬の星
枯野行く真白なる骨崩れ無く
数え日の日めくりめくる母のなし
動かずも時負う時計冬眠す 幻椏
丸12年、時間の立つのはこの上なく早い。不在の情況に追い付けぬままに時が立ち、今になっては病んだ記憶の無い元気な母に、励まされている。
父も、母の三回忌を待たずに逝き、間も無く義父、そして義母も今年旅立って行った。私達夫婦には、既に親は無い。
近親者で母の十三回忌と祖父の三十七回忌を併せて供養し、母の好きだった細井シェフのフランス料理を頂き、母を偲んだのである。