囀(さえず)
りの必死を聴けり吾もまた 幻椏
本日の朝日俳壇、金子兜太選2席で御取り頂いていた。入選後5週間のブランクを置くと言うルールが有るとの事で、選句後2・3週間の後に新聞掲載となるから、最良でも2カ月、7・8週間と言うインターバルが必要となる。今回は、前回3月23日から8週目の入選と言う幸運に恵まれた。有り難い事である。句評に、「囀りと比較する心情が若い。」 との御言葉を頂いた。
最近、次男の所で文鳥を飼い出したと言う。手乗り文鳥で、「こむぎ」と言う名を付けたと聞く。何とも可愛いらしく、孫の陽以も、その様子を稚拙な言葉ながら一生懸命に説明してくれる。雄雌の区別が付かなかったが、最近よく囀るので、きっと雄だろうと陽以のママは言う。私は、未だ見て居ないのだが、そんな遣り取りをベースに庭の鳥の囀りを聴いていた。
「囀り」は、春の季語で、春の到来を喜ぶ様に、さまざまな小鳥が野山や庭先で鳴き続ける事を言う。一心に私たちは、春の明るさ喜びを鳥の囀りに感じるのだが、実際は、今ある命を次代に繋げ、生き続ける為の命掛けの営為に他ならない。悲しい程に必死な囀りを、我が身に重ねて聴いていたのである。
昨日、妻の高校時代の同級生の訃報が届いた。同窓会の幹事を一緒に遣ったりと、親しくお付き合いを頂いていた様である。折々の交歓の中で、我が朝日俳壇入選には、必ず電話を下さっていたと言う。通夜、告別式直前の入選に、「何時も電話を頂いていたのに・・」 と早すぎる逝去を悼んでいた。心からの御冥福を祈りたい。