「こうようかん」と打ちこみ変換ボタンを押すと「紅葉館」と表記された。高揚感よりも遥かに美しい。多重多様な言葉を持つ豊饒を朝から感じている。有り難い事である。
心のざわめきがプラスに動くと高揚感と感じ、マイナスに振れると嗟嘆・痛嘆になるとすれば、心の波動はどれ程の持続性を持つものなのだろうか、と思う。
アルディージャの優勝に立ち会えた激しい歓喜は、2日程で落ち着き、埼玉文学賞準賞受賞と言う曖昧な高揚感は、1週間で終わった。
この季節、多くの喪中状を頂く。天寿を全うしての御逝去の報に交じって、御家族の御訃報の中には、年に1度の賀状の交換で御互いの快い関係の継続を確認して来た友人の早すぎる死も在る。何があっても可笑しくない世代である事は承知ながらも、すでに死がそこに在る齢に成っている現実を改めて知らされると共に、御家族の悲しみを思う。減衰する事無く長く続く心の動揺は、喜びよりも悲しみの方が永いに違いない。
埼玉文学賞俳句部門の審査員である山崎十生氏から、授賞式当日の写真と御著書を御恵贈頂いた。有り難い限りである。著書は、「山崎十生セレクト100
自句自戒 鑑賞 神野紗希」、山崎十生氏の代表100句を神野紗希が鑑賞・解題すると言う句集である。早速拝読をさせて頂いたのだが、特異な100句に若い女性俳人の高慢な解説が綴られていた。十生氏は、後書でも 「俳句は格闘技」 と書かれていたのだが、難解な断定の句が多く、ざらついた心情に落ちた私は、十生氏の術中にまんまとはまってしまった様である。私の詩感との距離を感じさせて頂いたが、氏は、余程バトルが御好きらしい。