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「金子兜太と金子家の俳人たち」展が、今日から開催される。この一年、私なりに最善を尽くして来た。是非、多くの方々に御来場いただき、御感想を拝聴したいと念じている。 宜しくお願い致します。 金子家の俳人たち ■01 私は、秩父線皆野駅前で鰻屋・吉見屋を営む塩谷容と申します。 皆野町は現代俳句の巨星・金子兜太先生の産土(うぶすな)の地、先生を育んだ地です。 我が家に残された沢山の資料や忘れ難い思い出話を紡ぎながら、今回、金子家の四人の俳人たちを御紹介することを通じ、秩父の地の力と人の力の関わりを一層深く御理解頂くため、「案内役」を務めさせて頂きます。宜しくお願いいたします。
■02 三男三女をもうけた父・元春、母・はるの第一子として大正八年(1919)九月二十三日に金子兜太先生は誕生しました。先ずは、父の元春、俳号伊昔紅(いせっこう)先生を紹介いたしましょう。 金子家親族に推され、医者を目指した元春先生は後に近代俳句の新しい運動を始める水原秋櫻子(みずはらしゅうおうし)先生と独協中学で同級になります。この御縁が後々に秩父に近代俳句運動の大きな渦を造って行くのです。独協中学を卒業後、大正四年に京都府立医学専門学校(今の京都府立医大)に入学、医業の道に進みます。
■03 京都府立医学専門学校卒業後、伊昔紅先生は上海の東亜同文書院の校医として渡海、帰国後は郷里秩父の国神村で医院を開業、後に現在の皆野町に移ります。昭和六年、「馬醉木(あしび)を」率いて「ホトトギス」より独立した水原秋櫻子に呼応し、近代俳句の運動を秩父で始めます。伊昔紅先生を慕い、秩父谷の青年たちが壺春堂(こしゅんどう)・金子医院に集まり、月に一度の句会を開きました。
■04 伊昔紅先生の主宰誌「若鮎」が、秩父俳句の中心の場となって行きます。そこで活躍した岡紅梓(おかこうし)、村田柿公(むらたしこう)、潮夜荒(しおやこう)、渡辺浮美竹(わたなべふみたけ)、江原草顆(えはらそうか)、野口宗三郎(のぐちそうざぶろう)、浅賀爽吉(あさがそうきち)を、兜太先生は「秩父の七人の侍」と呼んでいます。その中の一人が私の父・潮夜荒でしたので、壺春堂での句会が終わると出席者は吉見屋の離れに集まるのが常でした。実際は句会の有無を問わず、文学志向の強い知的青年たちは毎晩のように集い、壺春堂と吉見屋の離れは格好の溜り場となりました。こうして皆野町は新しい俳句運動のエネルギーを抱え込んでいくのです。
■05 ガリ版刷りの「若鮎」を始め、多くの資料と逸話が私の吉見屋には沢山残されています。貴重な資料もありますので是非ゆっくりと覗いてみて下さい。
〇エピソード 伊昔紅先生は皆野を俳句の町にしたかったのです。今で言う文化による町おこし、「俳句の町・皆野」を目指しました。昭和初期、極めて革新的な文化運動が皆野町で展開されたのです。知に飢えた若者たちがこの運動を支え、知の野生をむき出しにして行動しました。伊昔紅先生はそのリーダーだったのです。 〇エピソード 当時の俳壇を代表する有名俳人も多く皆野を訪れています。水原秋櫻子、加藤楸邨(かとうしゅうそん)、石田波郷(いしだはきょう)、石塚友二(いしづかともじ)など、句会の席で認められた書が今も秩父に多く残されています。句会の前後に書かれたものには落款のないものも数あります。 〇エピソード 「馬醉木」や「若鮎」は側に有ったので何時でも手に取り、読む事が出来た。その内容には新鮮で甘美な上昇気流を感じていた。私が俳句にそのような雰囲気を感じたことはその後の私の作風に大きく影響している。俳句がくすんでもいず、じじ臭くも無く、観念的でかたぐるしいものでもないという印象を持った……と後に兜太先生は語っています。
■06 伊昔紅先生は現在の秩父音頭の生みの親でもあります。埼玉を代表する民謡として育てて下さいました。
〇エピソード どちらかと言うと卑俗な歌詞の地民謡でしたが、新たな歌詞を募集し、先生自らも作詞し、昭和四年に「秩父豊年踊り」として明治神宮へ奉納されました。のちに「秩父音頭」と呼ばれる、埼玉を代表する民謡として再生させたのです。五七調が日常的に生活の中に在り、その韻律の中で育った兜太先生が、「俺は俳句だ」と言い切る所以もこの環境に在ったのです。 〇エピソード 十二月の「秩父の夜祭」がそう呼ばれるようになったのは伊昔紅先生の秩父音頭が誕生して以降のことです。「秋蚕仕舞うて麦蒔き終えて秩父夜祭待つばかり」の歌詞からこの呼び名が生まれました。それ以前には「夜祭」と言う呼び方は全く無かったそうです。 〇エピソード 俳句に民謡に大きな運動をリードしながらも、町医者として伊昔紅先生は経済的な利得を目指さず、赤ひげさながらに「医は仁術」を貫きました。先生は地域住民から圧倒的な信頼と尊敬を集めていました。 往診の靴の先なる栗拾ふ 伊昔紅 〇エピソード 伊昔紅先生は、婦人を句会に積極的に誘わなかったと言います。当時、婦人は家事に専念しなければならない時代でしたから、家庭をおろそかにはさせられない、というご配慮が有ったようです。そういう時代環境の中で、水原秋櫻子門の「馬醉木」同人となり、また俳人協会賞受賞作家として活躍した秩父野上の馬場移公子さんをここに紹介いたしましょう。 馬場移公子さんは御主人の戦死により秩父の蚕種屋の生家に戻り、伊昔紅先生の指導で俳句を始めます。及川貞、殿村莵絲子に次ぐ「馬醉木」の第三の女流として頭角を現し、第一句集『峽の音』は高い評価を受け、第二句集『峡の雲』で俳人協会賞を受賞しました。
いなびかり生涯峡を出ず住むか 百舌鳥鳴けよ山ゆく一日奔放に 良夜なり桑足りて閉ざす蚕屋障子
〇エピソード 伊昔紅先生の俳句、手紙、葉書ほか細かなリストが私の父・潮夜荒の遺稿の中に見つかりました。先生の偉業を顕彰する企画展を考えていたのでしょうか、コツコツと資料を整理していたようです。今回初めて目にし、ここに展示出来ることを嬉しく思っています。 やっと父の思いを叶えることが出来ました。
■07 金子病院は次男の千侍(せんじ)先生が後を継ぎました。兜太先生が憂うこと無く俳壇で活躍が出来たのも、千侍先生が金子病院をしっかりと引き継ぎ、地域を守ったことが大きな力となったのではないでしょうか。千侍先生は加藤楸邨が主宰の「寒雷」同人として、俳人としても活躍なされました。 花冷えや馬見られて町通る 牛の尾に茫々と枯野ゆれてをり 一山と一天にあり鷹の胸 SLの秋天翔んで句碑除幕
又、伊昔紅先生を引き継ぎ秩父音頭の二代目お家元として、秩父音頭の発展にご尽力なさいました。ここで、金子家二人目の俳人、千侍先生を紹介いたします。 ■08 改めて金子兜太先生をご紹介いたしましょう。皆野村の小学校、埼玉第二中・熊谷中学校、旧制水戸高等学校、東京大学へと先生は進みます。俳句とは水戸高等学校時代に出会いますが、幼年の頃から俳句が色濃く在る日常でしたので、俳句の道へ強く踏み込んで行ったのも当然だったと思います。
〇エピソード 白梅や老子無心の旅に住む 18歳のときに初めて詠んだ句は大変好評でした。 〇エピソード 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 23歳、「兜太はとんでもねえ句を詠みやがった、これで秩父に嫁が来なくなる」と秩父の先輩たちにこの句は不評だったそうです。 〇エピソード 兜太先生の先進的な俳句に対する嫉妬から象徴的な事件が起こります。それが「ソース事件」。宴会の座興に兜太先生が俳画に即興句を認めたのですが、それを快く思わぬ輩が、その軸にソースを浴びせたのです。伊昔紅一門は激怒し、大騒動になったのですが、伊昔紅先生は一切の批判をせず、とがめなかったそうです。
■09 24歳で東京大学経済学部を半年繰り上げて卒業、日本銀行に入行しましたが3日で退職し、海軍経理学校へ入りました。兜太海軍主計中尉はその歓送会を加藤楸邨はじめ「寒雷」の面々が皆野の実家で、又、三峯口で開いてくれました。会では伊昔紅兜太親子が秩父音頭をおどったエピソードが残されております。翌年トラック島に赴任します。向かったトラック島では戦争の悲惨さを身に染みて実感するのです。
〇エピソード 事実をつきとめることができませんが、水原秋櫻子の軸「初霜のかがやくみちを征けよ君」(秋櫻子全句集には未掲載)は伊昔紅の息子である兜太先生に対して書かれたという話が残っています。 〇エピソード 水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
■10 敗戦の後、米軍の捕虜となります。昭和二十一年に復員、二十二年に日本銀行に復職、そ して長瀞町出身の塩谷みな子さんと結婚をします。
〇エピソード 朝日煙る手中の蚕妻に示す
■11 復職した日本銀行では組合運動に専念、日銀従業員組合初代事務局長(専従)を経験します。厳しかった戦争体験と生きて帰って来た人間としての責任感が、組合運動を強く推進する根本に在ったのです。
〇エピソード 福島に転勤。 暗闇の下山くちびるをぶ厚くし は吾妻山を夜一人で下山、身体的野生を直接的に詠んだ句として、福島時代の印象深い句です。 〇エピソード 34歳で神戸支店に転勤。関西の新興俳句の諸先輩と出会い、大いなる触発を受 けました。 朝はじまる海へ突込む鷗の死 銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく など強い社会性を帯びた句が注目され、雑誌の座談会では「社会性は態度の問題」と発言し、俳壇に大きな議論を巻き起こしました。 〇エピソード 昭和三十三年、原爆が投下された長崎支店に39歳で転勤。戦争の悲惨さを実体 験している兜太先生は、長崎の街に強い共感を持ったようです。先生の代表句 彎曲し火傷し爆心地のマラソン は彎曲の言葉を辞書に見つけ、一気に詠んだ句と聞いています。 華麗な墓原女陰あらわに村眠り 粉屋が哭く山を駆け降りてきた俺に も長崎時代の代表句で、兜太先生の表現の在り様を強く感じる事が出来る作品です。
■12 昭和三十五年、41歳で日本銀行本店に戻り、東京での生活が始まります。三十七年、同 人誌「海程」を創刊し、後に主宰となりますが、その後の活躍は皆様ご存じの通りです。
人体冷えて東北白い花盛り 谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな
■13 昭和四十二年、48歳で熊谷に転居します。奥様のみな子さんから「あなたは土の上で生きなくては駄目になる人間」という強い進言により転居を決断なされたそうです。先生は都心のマンション暮らしで充分だと思っていたそうですから、大きな決断だったのです。私たち秩父の人間にも、再び身近な関係を取り戻す機会となりました。
梅咲いて庭中に青鮫が来ている 酒止めようかどの本能と遊ぼうか
〇エピソード 50歳の時、皆野中学校の校歌の作詞をしています。2017年(?)6月20 日には校歌祭が開催され、四十七年ぶりに皆野中学校の生徒さんの歌う校歌を聴き、兜太先生は感無量のようでした。 〇エピソード 校歌の碑を作る際、ふだんの色紙・短冊の字とは違う、中学生にもわかりやすい字で書くことを兜太先生は心掛けたそうです。
■14 ここで、妻として母として金子家を支えて来られた奥様のみな子さんを改めて紹介いたしましょう。俳号を皆子、女流俳人として活躍をなさいました。
〇エピソード 紅梅、白梅、金褸梅(まんさく)、楷、山茱萸(さんしゅゆ)、榠?(かりん)、木瓜(ぼけ)、三椏(みつまた)、山吹、藪椿、山茶花、令法(りょうぶ)、山法師、桜、えごのき、針槐(はりえんじゅ)、鶯神楽(うぐいすかぐら)、山躑躅(やまつつじ)、梅擬(うめもどき)、檀(まゆみ)、椎、水楢と秩父の山から移植した庭の樹々は町の中の雑木林のように育ちました。 俳句専念を決意した兜太先生を助け、結社「海程」の事務や家事に多忙な日々を過ごしました。庭の雑木林を育て、家庭菜園に勤しみ、古里に近い熊谷での生活を大いに堪能していた様です。 〇エピソード 御主人と共通の話題を持とうと俳句を始めたのも熊谷移住の後、繊細な感性は独特の俳句をお詠みになりました。
からすからす呑み込んだ小石火打石 ほうせん花みみずころころ笑つたよう 風ふくような鳥の眠りに会いました
〇エピソード 平成九年二月、癌を発病。闘病生活を詠んだ句集「花恋」は、第一回詩歌句大賞を受賞しています。
夫は遠くにいつも遠くに鱗雲 消えることに気がつくお化け雪しんしん
〇エピソード 九年間の闘病の後平成十八年、81歳で皆子さんはご逝去なさいました。
合歓の花君と別れてうろつくよ
兜太先生87歳の作です。 ■15 平成十七年、日本芸術院会員に推挙され、平成二十年には文化功労者に選ばれます。翌年二十一年にはここ八木橋デパートで盛大な祝賀会が開かれたのは記憶に新しいところです。
〇エピソード おおかみに蛍が一つ付いていた
先生は「生きもの感覚」と良く言われます。産土の秩父とアニミズム、98歳を迎える先生 の俳句界での偉業が私たちを大いに励ましてくださるのです。 ■16 戦後70年の平成二十八年(2015年)1月1日から、東京新聞に「平和の俳句」が1日1句、 朝刊1面に連載されています。選者は金子先生と、作家のいとうせいこうさん。戦後70年が80年、100年、永遠へと続くよう願いを込めた「軽やかな平和運動」へ、件(くだん)の会から第12回みなづき賞が贈られました。
■17 平成二十八年(2016)三月三十日、「熊谷市誕生10周年記念」事業として、「金子兜太・熊谷の俳句」の除幕式が熊谷市宮町の中央公園で開催されました。
利根川と荒川の間(かん)雷遊ぶ 草莽(そうもう)の臣友山に春筑波嶺(つくばね) 荻野吟子の生命(いのち)とありぬ冬の利根 行雲流水(こううんりゅうすい)蛍訪(おと)なう文殊の地
■18 平成二十八年(2016)十一月三日、秩父長瀞宝登山神社に兜太先生の最も新しい句碑が建立されました。
谷間谷間に満作が咲く荒凡夫
〇エピソード 「小林一茶は60歳の正月、荒凡夫で生きたいと書き留めていた。私は『荒』を自由と受け取っていて、人様に迷惑をかけずに生きられたら何よりと思っている」と仰っています。
■19 今回、兜太先生を囲む金子家の俳人たちと皆野町を改めて紹介し、先生を一層深くご理解頂けるようご案内を進めて参りました。お付き合いを賜りまして、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。
by tgenna
| 2017-09-21 09:39
| 俳句
|
Comments(5)
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by
こんの
at 2017-09-22 09:32
x
おめでとうございます
金子兜太の偉大さが納得でき、嬉しい ありがとうございます
0
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by
tgenna at 2017-09-23 10:36
こんのさん、ありがとうございます。
この企画展を各地に巡回し、多くの方々にご覧頂きたいと念じております。山形のデパートで開催出来たら、今野さんにも直接御覧頂けますね。
Commented
at 2017-09-23 23:51
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
tgenna at 2017-09-24 10:15
藤原設計事務所 佐々木 さま、遠路お出掛けを賜り、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。
御礼の御挨拶も出来ぬまま、失礼を致しました。大変申し訳なく思っていたのですが、早速にコメントを頂き、御詫びを伝えさせて頂く機会を頂きました事に感謝です。今後とも宜しく御願い申し上げます。
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