千葉大・鈴木准教授のプロデュースで執り行われた今年の日本建築学会埼玉支所「埼玉住まい・まちづくり交流展」にゲストスピーカーとしてお招きした「向島百花園・茶亭さはら」の御亭主佐原滋元君は、私の大学の同級生で、鈴木先生が百花園の佐原氏をゲストでお招きしたいという提案を頂いた時には吃驚した。勿論鈴木先生は、私の同級生である事を知らずに交流展の企画を進めていたのだから、鈴木先生との縁も、佐原君との縁も偶然を超えた不思議なえにし、出会いとこの関係性に大いなる者の意思あり、と感じたのである。改めて3人で飲もうと言うと言う事になり、昨日上野駅の「かよい路」と言う居酒屋で酒宴を持つ事が出来た。
交流展では、「荒川と桜と水の文化」と言うキーワードで、佐原君は素晴らしいブレゼンテーションをして下さった。優秀な男の含蓄のある話に、聴衆は酔い、満足した。昨夜の酒席も、極めて知的で楽しい会になったのは言うまでも無い。
俳人・黒田杏子先生の「藍生・あおい」の句会も「茶亭さはら」で何度も開催されている。そんな事で金子兜太先生の話にも話題は拡がって行った。
黒田杏子選の日経俳壇では数週間に及び兜太追悼句が掲載され続けたし、朝日俳壇も同様であった。戦後の俳壇を牽引して来た先生の御力成ればこそと理解しながらも、ブームとしての追悼句を切も無く見せられる事にいささかの抵抗感を感じたのも偽ざる気分である。
俳句総合雑誌の追悼特集号を見ると、多くの職業俳人に金子先生が俳壇と言う矮小な世界に絡め取られてしまう息苦しさと寂しさを感じた。
思えば・・金子先生の御講演は数多く拝聴したし、プライベートな会話の機会も少なからず頂いて来た。が、直接的な俳句の御指導、結社「海程」への入会も勉強会への参加も無く終わった。只、朝日俳壇に投句した我が拙句をお取り頂く事で多少の俳句の縁を頂いて来たが、俳句の外で日常的なお付き合いを賜っていたと思う。出会えた事で触発を頂き励まされ、御指導を頂く事で私は守られ、出会えて以来、良くも悪くも、私は変質する事無く純粋に私のままで居られた、と鈴木、佐原両氏と語り合う中で思った。改めて私は、兜太先生との有難い御縁を実感したのである。
様々に語り、深く酔い、静かに思いを巡らせることの出来た素敵な時間だった。両氏との宴に心からの感謝である。