芽吹く前その骨格を覚えをく 幻椏 過日、久し振りに浦和の「うりんぼう」へ出掛けた折、壁に古い私の句を見た。店主の佐藤さんの御配慮で、有難い事に季感に合った句を架け替えて下さるのである。
間も無く芽吹きの季節を迎えるが、その前に裸木の今を覚えておこう、と我が庭の樹を眺めて見た。
水楢の樹は、落葉した後、天に向かう枝を全て剪定している。水平、あるいは下に伸びる枝を残し、異形な樹に仕立てた。まさに様々な角度から骨格を眺めて、この樹形を造って来たのである。
この季節、椏苑の樹々をボーと眺めている事が多い。小さな庭に、大自然を夢想しているのである。この箱庭的みみっちさが、私の性分・本性と思っている。
そして今日3月13日は、弟芳明の命日である。風の強い13日の金曜日、不慮の事故に遭遇し、25歳と言う短い人生を終えた。1976年の事だから、すでに43年もの時が経過した。今日の芳明は、若く優しい笑顔で居た。彼は、今の私をどう思い、どう見るのだろうか、とふっと思った。
そして11日、叔父、叔母、祖父、従弟、親しい友人の忌日も多く、加えて大野先生、銀遊句会の季楽さんの訃報も届いた。
芽吹き前 だからでも無いのだろうが・、鎮魂の3月と思うのである。