今日は、ホワイトデーである。
今年は、弟の忌日13日と14日を殊の外に意識している。ハンサムで優しくスポーツマンの弟だったから、バレンタインデーには、沢山のチョコレートが集まったに違いない。私も、配慮と心遣いのチョコレートを頂いた。それにお応えするホワイトデーのお返しは、私の企画、プロデュースした権田酒造の「都富酒・つぶざけ」と決めて久しい。
都富酒とは、食・はむ酒である。権田酒造の先代権田太喜男社長に蔵を御案内頂き、酒樽の醪・もろみを掬って飲ませて頂いた事がある。蔵人でもない素人が醪を掬って味わう事など有り得ない時代である。その時の感動は強烈で、何で醪そのものを商品にしないのかと、御伺いをしたのだが、先代社長は笑いながら「だから素人は困ったものだ。酒は濾・こして初めて清酒になる。搾りと言う工程が必要なのだ・・。」と仰った。だったら搾りのメッシュはどれ程なのか、と理系の私は思っていた。当時、国税モニターと言う御役を頂いていて、税務署とは良好な関係だったので、酒税担当官の方に搾りのメッシュを御伺いした。当然に速やかなレスポンスも在ろうはずも無く、極めて私には重要な事なので調べて欲しい旨を伝えた。3か月程立っただろうか、「搾りの目は3ミリでよい」と言う御返答を頂いた。思えば不思議な数値ではあるが、それで宜しいならば有難い。すぐに生コンの協力業者に御願いして3ミリのJIS規格の篩・ふるいを取り寄せて頂いた。蔵に持ち込み、米粒を思えば3ミリメッシュならば楽に濾せるはずである。現・清志社長が試みたのだが「醪には粘性が有って落ちません。」と言う。だったら「篩を叩け・・」と指示し、「落ちました、全部おちました。」という事になり、搾りの行程はクリアーしたのである。後は醪を掬って原酒を程良く混ぜれば宜しい。ここに、米粒の入った酒が出来上がった。最初の一本は、当時の熊谷税務署長にお飲み頂いた。粒では面白くないので「都富酒」と命名し、商標登録も取った。これが、都富酒の誕生ヒストリ―である。
都富酒は微炭酸の発泡酒で、原酒生酒ながら飲みやすい。暫くは、我が社の新年会の乾杯酒として使っていたのだが、人伝いにその美味さが広がり、好評を得て今では権田酒造の季節商品として良く売れている、と聞く。
ホワイトデーを直訳すれば「白日」である。ホワイトデーのお返しには直実の白い都富酒「白日」を商品として売り出せば宜しい、と提案しているのだが未だに実現していない。毎年私は、手書きのラベルを造り、手作りの都富酒「白日」を一晩掛けて創り、14日、心を込めてお渡しをしているのである。