1月の我が
ブログに報告をした通り、今年の正月から野口岱寛先生の教室に通っている。6月6日に御邪魔し、11度目の楽しい時間を頂いたが、6月8日に指の怪我をして3週間の入院。退院の後も、残念ながら右手に違和感を感じて墨も磨れず、結局2か月のお休みをしてしまったのだが・・久し振りにこの2日、御稽古を頂いた。熊谷は連日の炎暑で、何時も2階の部屋で御指導を頂くのだが「2階は暑いですから、冷房の利く1階で致しましょう。」と御案内頂き、「指の怪我は如何ですか」と御心遣いを頂いた。人間の身体は微妙なバランスの上に成立している様で、高々指先程の怪我でさえ一度このバランスを崩すと随分と不自由を実感しました・・などと話をして、書いて来た10数枚の我が書を提出、一枚づつ丁寧に見て頂いた。久し振りの岱寛先生は、見た目に御痩せになり連日の猛暑にいささかお疲れの御様子だったが、次の稽古日の決め、手本も御書き下さった。「少しずつ筆にも慣れて来ましね。」とお褒めの言葉を頂き私は、改めてのスタートを思った。
週が明け5日に先生から電話を頂いていた。我が携帯電話は充電の為不携帯だったのである。次回の御約束の日の変更かと思いつつ2度程御電話を掛けたが繋がらず、3度目のコールに奥様が出られた。「何度も電話を頂きながら申し訳ございませんでした。実は昨日4日に主人が亡くなりました。」と言う。私の御稽古を最後に、次の稽古は出来なかったと言う。3日の夜酷く体調を崩し、救急車で病院に搬送、緊急入院なされたが、薬石の効無く御逝去、と言う。思えば、2階に昇る力も無く、最後の気力を振り絞って私を迎えて下さった、と言う事なのである。
あまりに突然の訃報に、私はこの現実に追いつかずにいた。つまり私は、師の最後の指導を受けた弟子と言う事であり、お手本を御書き頂き次の稽古日を約束させて頂いた弟子でもあるのである。
奥様の御話を聞くと、3年前に大病をし、強い精神力で現役に復帰、書家として日々精進を為されていたと言う。私を快く受け入れて下さったが、実は、自分の命が続くまでと言う覚悟の受容だったとの御話も御伺いした。私と同じ干支の子年、58歳の壮絶な命だったのである。
私にとっては、たった12回の稽古であったが、次に提出しなければならない課題が残されている。9日、御葬儀に参列をさせて頂き御送りをしたが、エンドマークは打てない。まさに惜別の情を持ち続けなくてはならない、と思うのである。