
7月に入り、第一本町区のお囃子の稽古が始まった。4年生になった孫の旺輔が、晴れてお囃子の練習に参加している。息子の雄輔は年番第一本町区の総代として、祭り本番に向けて長く準備をして来た。
この季節に成ると、40余年も前に書いた「祭囃子を聞きながら」と言うエッセイを思い出す。親子3代祭りに関わり、それぞれのナラティブを紡いでいるのである。
祭囃子を聞きながら
梅雨の明けきらぬまだじっとりと不快な日の続く夕暮れ時、祭囃子の音を聞く。子供達のお囃子の練習であろう鉦と太鼓の音は、祭りの只中の激しいお囃子とは遠く幽かなだけに、夏に向かう季節の予感と、祭りへの曖昧な酔いを快く感じさせてくれる。
「あーあ」、遠く関西から嫁して来た友人の若奥さんが言う。「好きになれないのよね、熊谷のお祭り。なんかきたない感じがして。」結婚して数年、毎日の生活は全くこの街の人間に成り切りながらも、祭りになるとどうにもならない違和感を感じると言う彼女の何気なく言った「きたない」と言う言葉の唐突な表現に妙な力を感じてたじろいだ。
「祭りの汚さ」とは何だろう。本来、歴史的に祭りの構造は、特異な1日を日常から切り取りながら相対し、全てのタブーを開放する事で鬱積したストレスを瞬時にバランスする非日常であった。とするなら、その基本的構造は、今日時間を解放された若者達のあの落ち着きのない物欲しげな視線に充分読み取れる。祭りに同化しない冷徹な観察者の目には、若者達のあの卑猥な視線を不快な汚いものと見るであろう。確かに祭りとは、日常奥深く隠蔽していたその土地のヤバさをも一時に噴出させてしまうものだから、そのヤバさをヤバさのまま敏感に感じる観察者には、なんともきたないものなのかも知れない。祭りをきたないと言った若奥さんが、冷徹な観察者であるかどうかは知らない。たまたま故郷の祭りとの単純な比較からの素朴な感想なのかもしれないが、日常生活では知りうべくもない自分の余所者性を、祭りと言う非日常の中で顕在化されてしまうと言う構図を教えてくれた。
「原域」最近私が良く使う言葉である。地域主義、地方の時代と喧伝されながらもその実、常に中央との相対としてきり位置づけられない地域と言う概念を超絶するための私の造語である。原域とは、中央・地方と言う二元論、あるいは相対論を越えた原点としての地域、その地に根ざした主体としての確かな視点と規定したいと考えている。
祭に同化しヤバさ汚さをも身体化し享楽しない限り、主体的にその地域に係れないとするならば、原域感とは、平和な日常生活の中で育まれるものでは無く、祭りあるいはそれに等しい非日常の歴史を重ねていく中で深く決定されるものなのでだろう。
祭りの最終日、大変な人混みの中を小さな子の手を引き参加した。お祭り広場を囲んだ11台の山車から出る精一杯のお囃子は、激しい不協和音となって広場を満たし、いやがうえにも祭りの恍惚に導いてくれる。私は少しでも良い祭りを見せたいと子を抱きかかえる。
祭りを見すえる子はひ弱な父の腕力の無さをも知らず、抱きかかえる労から解き放してくれない。汗がどっと吹き出し、全身水をかぶった様である。年番送りの儀式が終わり、三々五々山車は広場を離れて行く。最後の山車を引く子は精一杯なのだけれど、当に彼の時間は過ぎて、疲れたのだろうか抱っこを求める。最後のお囃子のお兄さん達を晴れがましく見上げていた子も、何時の間にか腕の中で眠っていた。ずしりとした重さの中に眠りの深さを感じながら、ゆっくりと歩く。街角で山車に別れ、お囃子は少しづつ遠くなる。腕の中で眠る我が子を見る時、父に背負われて祭りから帰る私を思い出していた。
こうして熊谷人がまた、出来るのかも知れない。