1985年、都道府県利き酒選手権大会に優勝してから権田酒造と 良い関係を頂いている。
権田太喜男会長がまだ第一線で活躍をしている時、ご推薦を頂き地区大会へ出場、運良く準優勝をし県大会へ、またまた準優勝で全国大会へ。都道府県対抗ぺアマッチという事で、県大会優勝者秩父の小池重雄さんと共に優勝させていただいた。私は全くのフロッグ、まぐれが三回続いて全国一になったのである。が、日本一の称号はありがたいもので、権田酒造との関係も少しずつ深くなって行った。1995年に歴代チャンピョン大会で、満点三人の内のひとりになり、グランドチャンピョン戦準優勝。この頃から杜氏の布施親方からも信用して頂けるようになり、蔵への出入りも多くなった。最近は6代目権田清志社長を中心に若いメンバーで酒造りをしている。今日までの経緯を簡単に話しておかないと、何故私が新酒初絞りの利き酒の機会を得るのか御理解頂けないと思うので、少し長い前置きになってしまった。
新酒の初絞りが始まったとの連絡を受け、蔵にお邪魔した。事務所で清志社長夫妻と少々話した後、蔵へ入る。一番樽は、本格造りへの助走期間でもあるから、荒さや雑味、苦味などが出易いのが常であるのだが、柄杓で掬った白濁の搾りたての新酒をテースティングさせて頂く。「どうですか?」清志社長に、柄杓を返し思うままを語る。武蔵杜氏1号の清光雄嗣君からは造り途中の至らなさを随分と聞かされていると言うが、なかなかの出来である。綺麗な甘味と、今年の新酒は苦味が確りと抑えられている。清光杜氏の力の伸びは凄まじい。ミュージシャンでもある彼の感性と若い情熱が、一樽目からこの味を作り出した。「今年も期待できるね」、嬉しかった。飲酒運転取締の厳しい御時勢、ゆっくり味わい盃を重ねるわけにも行かず、この先本格的に始まる酒造りに期待しながら、蔵を後にした。
自宅に帰り、清志社長からの電話を知る。何と我がバックを置き忘れて来てしまったのである。一過性全健忘の記憶癒えぬ今、こんな失態は初めてであるから余計に内心ショックだったのだが、初搾りの出来の良さに喜び つい我を忘れてと、言い聞かせることにした。