昨日、上熊谷駅から夕刻秩父に向かった。井上光三郎さんの葬儀に参加できず、その香典を浅賀信太郎君に立て替えて頂いていた。年改まる節分の前にお返しする事と、秩父の地で彼と共に光三郎さんを偲びたいと思っていた。大きな励ましや御指導を頂いた光三郎さんであったが、実際お会いしたのは五指に余る程であった。朝日俳壇の我が句にお眼を留めて頂き、その縁で御紹介頂いた。信太郎は光三郎さんを「山上歌翁」と」呼ぶ。写真家であり、植物研究家であり民俗学者で随筆家、絵も良くお書きになっていたと言う多才の人であった。
日頃うとむ嘴太鴉けふは愛(う)し我が立小便を唖唖と嗤ふ 光三郎
歌集知知夫追懐 の中の私の好きな歌だ。この歌集から、秩父では山鳩をででぽぽと言う事も教わった。
山鳩(ででぽぽ)のしきりに聞こゆ夕まぐれ炉辺の父も母も若かりき
ででつぽうの声がかなしく炉辺の母の耳に口寄せ囁きしかな 光三郎
山に向かう電車は突然に日が暮れる。僅かな暮色が山の稜線を際だだせるのも束の間、あっという間に夜である。
ででぽぽや翁くさめして逝きにけり 幻椏
こんな句を思いながら秩父に入る。信太郎邸を訪問し、光三郎さんの事,俳句短歌,時代の事などを語り、酒を飲む。光三郎さんのために歌を歌おう、とカラオケ屋に行き、焼酎を重ねて演歌を歌った。御宅を御訪問することもせず、秩父の町というお近くで、只々光三郎さんを思うだけの事ではあったが、良い追悼の夜に成ったと思って居る。
凍てた秩父谷には陰が出来るほどの強い寒満月が、空高くあった。
そして今日は節分である。今年の我が節分状は下記の通り。
「 公平と信頼を基とした誠実さの中で、相互充足に努めていきたいと念じています。
個の萎縮と不足感の中で、今一番得難い柔らかな関係だと思うからです。
福は内 鬼は外 福は内 鬼は外
妻は手編み講師認定書を取得、地粉でパン焼きと情況を広げ
真緒は一歩前進 雄輔は帰国して我が社へ 隆佑も社会人になります。」