土休の朝、高校時代からの友人佐藤氏の店舗併用住宅の地鎮祭を行った。何代も続く古い酒屋さんの店舗の建替えである。以前 まだ私が若い頃、店舗の北側に住宅を建てさせて頂いている。今回前面を覆っていた店舗が解体され、隠れていた南面のエレベーションを初めてみる事が出来た。自身の過去の仕事に触発を受け、学ぶ事も重要であると思っている私は、住宅に対するプリミティブな我が熱い思いを思い出す事が出来、嬉しかった。神事の間中、この住宅を見詰めていた。
終了後、大宮に用事があり出掛ける。電車は思いの外混雑をしていた。どこから乗り込んできたのか本を読んでいた私は知らないが、若い女性が席を取るなりバックから化粧道具を取り出し化粧を始めた。最近良く見る光景である。このところの寝不足と疲労感から、些細な事が気にさわり不快が募る。今日の女性は化粧の手直しに止まらず、ビューラーを持ち出してあられもない面相で睫毛を整形、目をぱちくりしながらマスカラをべたべたと塗りつけている。いつから日本の女性は公衆の面前で化粧をするようになったのか、恥の感覚を放念してしまったのか、蹴飛ばしたくなるほどに今日は許せない気分である。これほどの破廉恥を周到に塗り込めた女の媚態に 翻弄される男を思うと、嗚呼 哀れである。
多人の目たが為の化粧や黒の南風(はえ)
幻椏
用事を済ませ、さいたまスーパーアリィーナで開催されているジャパンフラワーフェスティバル埼玉2007に立ち寄った。大変な賑わいで、入場前に蛇行を強制され眩暈がするほどであった。巨大なアリィーナの空間にミゼラブルな展示、この手のフェスティバルは何故この程度なのだろう。早々に退散、時間が出来たので新都心の反対側に出来たショッピングセンターを視察。運良く時間が適当だったので初のシネコン体験、北野武の「監督 ばんざい」 を見る。映画監督と言う絶対的な万能感を持ち得る職能 あるいは気取った才能に、自虐的な揶揄をこれでもかと吐露することで、過去の作品を清算したいという強い意志を感じた。北野監督が、こんな映画を創ることさえ許される自らの権威を笑い、乗せられて見ている観客を笑って 「監督万歳」 である。この次が、すでに彼の中に構想されているのだろうか。捨て映画の次を見逃せないと強く思った。次回作の予告編に入場料を払わされたとしたら、この野郎やるな である。
券売機にポケットに有るありったけのコインをザラザラと流し入れる。当然不足があると思い、バックの中の財布を捜していると、偶然どんぴしゃり。熊谷までの650円の投入金額であった。改札を入り、下りプラットホームへ降り着くと、籠原行き電車がスルスルと到着。映画の虚構が現実の世界に滲み、見慣れた風景が心地良く歪められて新鮮に見える。
思いの外明るい内に帰宅出来て、久し振りに夕食は家族ととる事が出来た。