日経のコラムに「アナス・ホリビリス」という大きな見出しが出ていた。アナス・ホリビリスとはラテン語で「酷い年」という意味だそうで、エリザベス女王が即位40年記念昼食会で1992年を振り返り「酷い年」といってイギリスで流行語になったという。コラム氏はこの1年の政治状況を振り返り「アナス・ホリビリス」と言いたいというのである。力不足から招いた改革継承者と保守主義者の相反する指向性を同時に欲して股裂き状態に陥り、結局政権を突然放棄した安倍首相に今の日本を見て、改革の根付かない国と断じている。
政治的にも酷い年であったが、我が日常はアナス・ホリビリスそのものであった。公共工事削減から来る建設業界の慢性的不況や談合問題、建築基準法改正による混乱、我が社のリストラ断行と親族の摩擦。正しく在ろうとすればするほど逸脱と疎外感にもさいなまれもした。加齢から来る一過性全健忘症や歯の咬合不良から来るのであろうか耳鳴りと頭痛、不定愁訴も強まり身体的にもアナス・ホリビリスな1年であった。
事件も忌まわしいものが多く、加害者、犯罪者はどうして一線を軽々と超えてしまうのかその心情も計り知れない。心身膠着状態とひとくくりにされる心的混乱は、思いの他ハードルが低いのかも知れない。強いストレス持続の中で何時か一線を越えてしまうかもしれない自分を思って恐怖している年の瀬は、アナス・ホリビリスだった1年と思わざるを得ない、とコラム氏同様に断じている私がいる。
「酷い年」も随分と押し詰まってきた。