早朝 3週間ぶりに朝日俳壇へ投句、葉書4枚を投函した。句は葉書に筆で書く事にしているので、筆を持つのも随分と久し振りであった。通常使い終わった筆は軽く水洗いをしておくのだが、この所の無精で硬く固まり 穂先が割れて筆の体を為さなかった。昨夜、妣(はは)の形見でもあるこの細筆を持って風呂に入った。石鹸を付け洗えども洗えども、泡は墨の黒さそのものである。それでも洗い続けると次第に灰色に成りながらも白い泡には成らない。「汚れてしまった悲しみは・・・」 そんなフレーズを思い出しながら30分、飽く事無く洗い続けた。随分と白い泡になったと思った時、最後の何かが弾けた様にまた薄黒い泡に成った。そしてそれから10分、ほぼ純白の泡に成るまで洗い続けた。ここまでする必要も無いし、専門家からすれば筆の為に宜しく無いと言われてしまうかも知れない。が、遣り切った満足感と、久し振りに母と会えた様な気恥ずかしい気分に成っていた。