19日未明4時6分、イージス護衛艦「あたご」とマグロはえ縄漁船「清徳丸」の衝突事故から情報は二転三転して、「危機回避」から「責任回避」の行動が事故当初から行われていた事が残念ながら暴かれて行く。行方不明のお二人の手掛かりも無いまま7日目を迎えた25日、「うらじまい」と言う耳慣れない言葉がテレビのニュースに流れた。行方不明吉清親子の親族から捜索に対する続行辞退の意志が新勝浦市漁業組合に伝えられ、「浦仕舞」と言う一線を引く事で捜索を終結するけじめの儀式の様子が、流されていた。初めて聞く「浦仕舞」と言う言葉の持つ意味の重さと、こうして共同体を維持してきた非常なまでの地域のもつ地力を、私は動揺と共に感動に近い思いを以って見させて頂いた。異常な非日常から日常を取り戻そうとする共同体の危機管理の伝統的手法に、メディアは確りフォーカスするものと注意深く新聞を見ていたが、私の予想は外れ、大きく取り上げられる事は無かった。すでに政争の具と化してしまった今回の事故は、ただ組織と人間の悪しき思惑ばかりが見えて来て、耐えられない。
浦仕舞とは、海運の発達した江戸時代からの海難事故に対する終結のシステムで、ローカルなものでは無い様であるが、こうして海に生きる人々の地域と生活を整序して来たに違いない。
ある友人が「メディアに出てくる漁師の方々が、皆人間として立派に見える・・」と言った。声高に自分を主張する事無く、分を心得て静かに語る生活者の誠実と質実をその方々に見て、私も共感と安堵を覚えている。
浦仕舞の終わった今ならば許されると思うのだが・・・、御2人の御冥福を心からお祈り申し上げます。