屋上の小さき野焼たちまちのの火 幻椏
昨日の休み、久し振りに屋上ビオトープの手入れをした。屋上3辺を回遊できる様に60センチ程を残してビオトープを創っている。22平方メートルのビオトープ部分は自然のままに放置し、パラペット脇の通路は確りと管理したいと思っている。家族さえめったに上らない屋上ではあるが、基本的に週1度、通路を掃き清め、そのコントラストを際立てる事が私の楽しい仕事であり、我が美学でもある。
昨日も通路部分を掃き清めながら、ビオトープの枯れ草に火を放ちたくなった。野焼きである。「野焼く」は春の季語であり、「山焼く」も同じく春の季語である。草生を良くし、害虫を駆除する為、春先に野や土手などの枯れ草を焼き払う。その灰は草生を助ける肥料ともなるのである。同様に「山焼く」は、山に火を放ち、枯れ草や潅木を焼き払う。「野火」、「山火」はそれぞれ野焼き山焼きの火を言い、その傍題と成っている。
本来、野焼きも山焼きも豪快である。時に昼夜をたがわず燃え続け、夜にはその火が赤々と遠望される。比べ様も無く我が屋上の野焼きはささやかなもので、一時火の勢いが付くもののあっという間に燃え尽きてしまう。
掲句は2003年4月、金子兜太先生に御取り頂いたものである。「屋上庭園の草を焼く人の春愁・・」との句評が添えられていた。