今日3月3日、桃の節句である。随分温かい春の日もあったが、まだまだ寒い日が続く。今日は、これから雪が降ると言う。
過日、明治大学教授にして俳人の夏石番矢氏の講演を聞く機会を頂いた。昭和30年生まれの氏は、若くして俳壇での活躍目覚しく、現代俳句若手の旗手として活躍されている。最近、俳人と言われる方々にお会いする機会を頂き、メディアで巨大化されたイメージを超えて、生の身体を持つ人としての再会をさせて頂いている。難解な俳句を作る氏が、何を語るか大いに興味を持って、会に参加させて頂いた。
氏は、比較文学・比較文化論の学者であり、俳句を古事記から語り起すスリリングな知的冒険を体験させて頂いた。古事記に登場するよろずの神々の出生と共に、世界各地の神話との比較、関係性を導き出しながら彼自身の感性を織り込み、3と言う数字の重要性を語って行く。俳句の5・7・5と言う音節以上に、3つの言葉の塊として捉えて行く事の方が重要であろう、と言う。金子兜太は、5・7・5は日本人の基本的な身体的リズムと言うが、それほど根源的な意味は無く、慣れであり、それ以上に3と言う数字に力がある、と言う。この視点こそ、世界の短詩との融通性、親和性を獲得出来ると共に、世界俳句という新たな地平を獲得出来る、と言う論であったと私は理解した。世界各国の詩人、文学者との交流を積み上げ、正に世界俳句と言う彼方を見詰めている様である。
小さな会であったので、講演の後の質疑応答も参加者全員が発言できる幸運も頂いた。私は、3と言う数字の重要性に同意しながらも、文化の伝承でもたらされた以上に世界に分散された人種民族が、同時多発的に個別に獲得した価値ではないか、と我が思いを語らせて頂いた。世界の神話、古事記を分析比較する以前に、経験的に3と言う数字を獲得している。例えば、柱を真直ぐ垂直に立てる為には、2点の視線で充分であるが、それを継続的に維持する為には、3方向からの引っ張り(これをトラという)が必要であるし、でこぼこの地面に安定的な頂点を獲得する為には3脚で事足りる事を、文化伝承以前の文明の基として3と言う数字を身体化していたと思われるし、その方が自然である、と。夏石氏は、我が名刺を見て、「建築屋さんですか・・」 と答えて、特別の同意も意見も無かった。2時間に及ぶ氏の論を否定した訳ではなく、論を重ねて極大化していく意識の危うさと違和感を感じたので、極めて素直に発言してしまった。が、氏の俳句の生まれる知の奥行きと広大な広がりに、只々感服するばかりであった。
改めて3月3日、我がアルボックスは33周年、少し前の講演だったが3が並んだので、今日ふと思い出し、書かせて頂いた。