9月に任期満了衆議院議員総選挙を控え、政局の混迷と共に、その解説講演会が多く催されている様である。昨日も、マスコミ記者出身の某大学教授の時局講演会があった。
この種の講演会で、充分満足できる場合とそうで無い場合の差は何処にあるのだろう。昨日の90分の講演は、初めから拒否的態度を私に強いた。
政局程流動的である事は承知、講師の発言がどれ程今後の展開を予測出来るかは、実はそれ程問題では無い。講演者が、それぞれの時局をどう読み、どう評価するのかが問題であるから、占い師の発言とはおのずと違ってくるはずである。我々に伝え届くニュースの隠された構造を読み解き、事象として現れている時局の真の評価を頂かないと、単なる時局漫談に成ってしまう。漫談にまで話芸として洗練されていれば、それはそれで楽しむ事が出来るのだが、そうで無い時は悲惨である。昨日の講演も、悲惨の部類に入るものだった。講演者の自慢、或いは謙遜からか、「ガセネタを含めて語らせて頂きます・・。」の態度表明が、先ずは頂けない。マスコミの真に求めるべき態度は、いかにガセネタを注意深く選り分け、真実に迫るかであり、より面白く語る事とは一線を画さなくては成らないはずである。また、講演者の立ち位置を明確にしながら、政局という構造を読み解かなくてはなら無いだろう。ならば、必然的に講演者の政治家の評価も明確に位置付けられなくてはならない。新聞紙面、テレビの報道番組とは、おのずと違う場が、この種の講演会ではないか。すでに我々に届けられている情報の羅列を語るだけならば、改めて時間を拘束される必要も無いのである。
「国策捜査」と巷間言われている小沢一郎秘書逮捕の構造は、実際どのあたりに在るのだろうか。絶対権力者として君臨出来ない総理総裁の弱体を好機として、次なる時代のグランドデザインの緒として現れているのか、そして何処まで拡大するのか、全てが絡み合ったパワーバランスを確かな視点で語ってくれる方はいらっしゃるのだろうか。勿論、我が妄想をたしなめてくれる方でも宜しいのだが。
講演者氏も、解散は限り無く任期満了まで引き伸ばされるだろうと言っていた。いまだに、私もそう思っている。