時田・幻椏・芳文の「我貌徒然」
2024-03-19T12:05:18+09:00
tgenna
時田工務店時田芳文社長/ブログ
Excite Blog
三月この頃
http://tgenna.exblog.jp/29985380/
2024-03-19T12:04:00+09:00
2024-03-19T12:05:18+09:00
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tgenna
自然・環境
13日は、第3回目となる建築学会埼玉支所提供のFMクマガヤ番組放送、今回は建築交流展のFMラジオへのアイデアを御示唆頂いた猪原英和氏をゲストに招いてナラティブ・メッセワークトークを展開した。弁護士として熊谷市に事務所を開設したプロセスや、幼年時代の生活、地域への思いなどをフリーに語って頂いた。
「埼玉住まい・まちづくり交流展」を開催中FMクマガヤの番組を提供頂き、千葉大の鈴木弘樹氏、赤井由起子さん、そして私をゲストに御招き頂き、それぞれの立場から交流展の関わり語り、交流展の広報を御担当頂いた。このラジオ出演と言う経験が、引き続き現在のラジオでのプレゼンテーションに繋がっている。改めて彼をゲストに迎え、地域ラジオの価値と意味も議論させて頂いた。
我々のラジオ番組のタイトルも「何度でも初回」と決まり「埼玉住まいまちづくり交流展・何度でも番組は初回。私達のナラティブをメッセワーク・トークします。FMクマガヤ初、学会による提供番組です。」と言うキャプションとする事も決定した。
14日、30年振りの古い友人と昼食を共にし邂逅を楽しみ、夜は学生時代の友人とこれまた久し振りに夕食を共にした。記憶の東京とは比べ様も無い激変を続ける帝都東京を実感する日にもなった。
16日、アルディージャ開幕3連勝。危うい試合運びながら勝利を獲得し続けるアルディージャに、更なる修正と強化を期待したいと願う。勿論、観戦後の居酒屋での祝杯は、有難くも上手い酒が続く。
この間、実桜は満開を迎え、熊谷桜は二分咲き、緋寒桜は今が盛りと言う処だろうか。この先の我が家の桜開花情報を御期待頂きたい。
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実桜
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2024-03-12T16:06:00+09:00
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tgenna
自然・環境
裏庭の実桜が、今朝は五分咲と言う処だろうか。「サクランボの木」と言う名札の桜を植えて、随分と時間が経った。裏庭と言う事もあり花を意識しないまま見逃して終わってしまう事が多いのだが、サクランボも沢山生る。人が食べる程の桜桃では無いので、鳥達の恰好な餌場に成っている。 実桜をスタートに、緋寒桜、熊谷桜、熊谷、長勝院旗桜、湖上の舞と言う豆桜、そして改めて頂き植え込んだ伊予熊谷、と思えば我が庭には沢山の桜が有る。今年は意識して見逃す事無く、全ての桜を愛でたいと念じている。
私は、毎日沢山の薬を飲んでいる。過日、前立腺と腎臓癌の術後のケアの為に3ヶ月に一度、定期健診を頂いているがんセンターで異常なしの診断を頂き、何時も処方頂く投薬が無かった。ドクターの判断で我が情況は一歩前進したと思い、あえて薬の要求をしなかったのだが、ここ数日頻尿で苦しんでいる。外出をせず家に居て我が儘に行動出来るのならば、トイレの回数を増やせばどうにかなるので殊の外問題は無いのだが、市外への出張となると大問題である。昨日、ホームドクターに駆け込み、排尿機能改善薬を処方頂いた。早速その薬を飲むと、今日は随分楽な気がしている。多分に気分の問題もあると思うのだが、我が身体は多量の治療薬で辛うじて平静を保てている様である。
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3月9日
http://tgenna.exblog.jp/29947198/
2024-03-09T15:32:00+09:00
2024-03-09T23:55:06+09:00
2024-03-09T15:32:21+09:00
tgenna
未分類
気持ちの良い青空ながら、今日の最高気温は10度と言う。朝夕の寒暖差は相変わらず激しく、体調を正しく保つにも難儀な日が続く。早咲きの熊谷桜も一輪開花し、見上げれば緋寒桜の蕾も膨らみ、緋色が日毎に濃くなっている。
今日は妻の誕生日である。このブログを始めたのが2006年だから、2007年から今日まで我がブログで妻の誕生日を書き留めているか、改めてチェックしてみた。2022年、『3月9日は妻の誕生日で、10日は東京大空襲。と言う事で「3・9.10」を記憶していた。それに加えて「3・9.10.11」と忘れてはならぬ日が3日も続く様になるとは思わなかった。』とたった1度書き込んでいる。
いかに「我が儘・われがまま」に私は生きて来てしまったかと酷く反省せざるを得ないのだが、出合って50余年、何とも永い歴史を紡いできたものである。
彼女が金婚式を迎える今年の今日までをどう総括しているのか、実のところ改めて問う自信も無いのだが・・殊の外の諍いも無く、決して多くない会話のトーンが随分低い事に動揺を覚えながらも、毎日料理上手な美味い食事を用意頂けるだけでも有難いと、感謝するばかりなのである。
2022年に我がデスクの横の壁にピンアップした写真は、きっと剥す事無くこのまま在り続ける事になる、と思うのである。
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6年生を送る会
http://tgenna.exblog.jp/29924727/
2024-03-02T11:14:00+09:00
2024-03-04T09:48:30+09:00
2024-03-02T11:14:55+09:00
tgenna
地域・社会
昨日、第4回西小学校運営協議会に参加し、有難くも「6年生を送る会」参観の機会を頂いた。全校生徒が体育館に集い、卒業を間近に控えた6年生を心を込めて暖かく送る会である。
私は、参観の機会を頂く度に子供達の率直さと先生方の献身に感動を覚える。
60余年前の西小学校は、1学年300人を超えるマンモス校だった。歴史ある名門小学校として「にこにこ・まごころ・はっきり・しっかり」という校是を掲げ、規律正しい小学校生活を送る事が出来た。今は少子化社会を反映し全校生徒数500余人と言う。このスケールがままに各学年の親和性は高く、この様な全校生徒参加の会は、吃驚する程懲り上がる。正直に何と素晴らしい小学校だろうと子供達の振る舞いを見て思う。
そして、校長を中心とした教職員の皆様の日々の御努力を思う。我が中学3年の担任が「私達以上に、小学校の先生に感謝して欲しい。何も知らなかった子供をここまで教育してくれた基は、小学校の先生方の御力なのだから・・」と良く語っていた御言葉を思い出していた。若い先生方は皆、生徒達に寄り添い見守り、優しい笑顔だった。有難い事である。
小学校の教員とは、素晴らしく何とも羨ましい職業ではないか、と思うのである。
500人余の中に混じる孫を最後まで見つけ確認する事は出来なかったのだが、元気で健康な環境に育っている全体を目の当りにして、ジイジは充分に嬉しかったのである。
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閏日
http://tgenna.exblog.jp/29920461/
2024-02-29T17:56:00+09:00
2024-02-29T19:49:00+09:00
2024-02-29T17:56:13+09:00
tgenna
未分類
昨日は2月の第4水曜日で、建築学会埼玉支所提供のFMクマガヤの2度目のライヴ放送を行った。「何度目でも今日が初回」をキャッチフレーズに今回は、交流展運営会議の精緻な議事録を担当頂た学会埼玉支所の原口剛君をメインゲストに、白江支所長と私も参加させて頂きながら、野原のぼ君の巧妙なコーディネートで賑やかにメッセワーク・トークを楽しんだ。
ラジオ出演と言う場での私の実感は、スタジオに入りメディアの中で緊張して語ると言う非日常感が、私自身を大いに刺激し触発してくれる特別な力を感じるのである。
この放送をどれ程の方が御聞きに成っているかと言う事を越えて、それぞれのナラティブを電波に乗せて語る事で自分自身を再確認し、次のスッテプに有効なパワーを獲得出来るであろうと思うのである。
2月の放送は、先ずは学会メンバーが出演し番組のフレームメークを模索して来たが、3月からは「埼玉住まい・まちづくり交流展」に御参加頂いた方々に御登場頂き、それぞれの運動と人となりを語って頂く予定である。どんなナラティブを御話頂けるか乞う御期待、御注目頂きたい。
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J3アルディージャ開幕戦
http://tgenna.exblog.jp/29910054/
2024-02-25T14:16:00+09:00
2024-02-25T14:23:40+09:00
2024-02-25T14:16:32+09:00
tgenna
サッカー・アルキチ
サッカーシーズン到来。我がアルディージャはJ3へ降格、私にとっては極めて不本意なシーズンのスタートである。
重い腰をアルキチ仲間におされ、シーズンシートの我が不在は許さないとの激しい叱責に負けて、開幕戦に参戦した。アルディージャ6からアルディージャ8にシステムを変えて我が意識のバランスを取っていたのだが、いざスタジアムを見渡し、変らぬ多くのサポーターの熱い応援を目の当たりにすると、しみじみと私もアルキチである事を自覚させられた。
今シーズン優勝し、屈辱のJ3から1シーズンでJ2に昇格する事を最大のテーマとする今年の選手諸君は、緊張感を持ちながら好プレーを展開し、結果4-1と言う勝利を獲得してくれた。久し振りの大勝にシーズンシートを埋めた我等アルキチも予想を超えたスタートに大歓喜、まだ始まったばかりなのに大祝勝会となったのは言うまでもない。
今年も又足繁くNACK5スタジアムに通う事になりそうである。この感激を最終戦11月24日に爆発させたいと只々念ずるばかりである。
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福寿草
http://tgenna.exblog.jp/29880902/
2024-02-16T11:52:00+09:00
2024-02-20T11:58:23+09:00
2024-02-16T11:52:06+09:00
tgenna
未分類
2月の異常な暖気に戸惑っていたら、庭の福寿草が知らぬ間に多くの花を咲かせていた。そろそろかしら、と先日この場所を覗いたばかりだったのに、私は置いて行かれてしまった常ならざる今日に実のところ驚いている。
二ン月(にんがつ)の軋む地球の歪む熱
地球の地殻も表層の人間界もぐにゃりと歪んでしまった今を、恐ろしくも感じている。
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日本建築学会関東支部埼玉支所 提供
http://tgenna.exblog.jp/29878391/
2024-02-15T17:32:00+09:00
2024-02-16T16:30:45+09:00
2024-02-15T17:32:41+09:00
tgenna
未分類
昨年、ナラティブをキーワードに展開して来た「第21回埼玉住まい・まちづくり交流展」の第2ステージとして、コミュニティFM「FMクマガヤ」の第2・第4水曜日19時からの1時間、先ずは半年の枠を頂き、昨日スタートした。
第一回は、白江支所長、千葉大の鈴木先生が出演し、司会役の野原のぼ君の上手なコーディネートで、先ずは御二人の紹介、建築学会の歴史と現状、埼玉支所の活動、今後の運動の展望等を語って頂いた。
実のところ番組のタイトルも、今後の予定も白紙状態である。確かな事は、番組の提供が日本建築学会関東支部埼玉支所である事だけである。この場を完全にオープンスペースとし、参加下さった方々のナラティブを確り語って頂ければ良い。今最も必要とされている事は、直接語り合う事と私は思っている。この会話の中から、必ずやまちづくりのエネルギーもアイデアも生まれて来るに違いない。
12回の番組は連続性を持ちながらも、「今日が初回」と言う言葉でスタート出来たら、私達が思う場に近づくだろうと思っている。
是非貴方も、ここで貴方のナラティブを語って見ませんか。貴方の御参加をお待ちしています。
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大雪
http://tgenna.exblog.jp/29852172/
2024-02-06T11:14:00+09:00
2024-02-06T17:46:18+09:00
2024-02-06T11:14:51+09:00
tgenna
自然・環境
昨日、正午前に予報通りに雪が降り出した。写真は、午後2時30分の我が家の雪景色である。
積もった雪の夜の、怪しい雪明りに魅せられた。何度も経験した事の無い静寂の世界は、マットな夜の曖昧さと不思議にも明瞭さを持っていた。この雪明りを詠もうと言葉を探しているが、未だに掴めていない。
枝に積もって白く染めていた雪は落ち、樹々は冬の黒さを増している。
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2日遅れの節分状アップ
http://tgenna.exblog.jp/29849781/
2024-02-05T09:22:00+09:00
2024-02-05T15:30:33+09:00
2024-02-05T09:22:50+09:00
tgenna
未分類
節分状
人工知能が誕生し急速にイノヴェーションをして行く様は、5億年前のカンブリア紀に生命史上様々な生物が急激に出現した「カンブリア爆発」に比肩すると言います。今日の一瞬と言う時間と情報の密度は、地質学スケールの何万年に相当するかもしまません。が、この恐ろしい程の爆発的変革期に遭遇しながらも人間の本質は変らず、国内外を問わず、そのおぞましさに恐怖するばかりです。本質のままに時代に遅れ拒否さえしている私は、ふと蓑虫に成ってしまいたいと思うのです。
福は内 鬼は外 福は内 鬼は外
私は油絵を描きだし、妻は編物とパンを焼き、孫の陽以はギター、結衣はフルート、旺輔はサッカーを頑張っています。
2034年2月3日 時田芳文 雅子
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立春
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2024-02-04T16:20:00+09:00
2024-02-04T16:21:28+09:00
2024-02-04T16:20:09+09:00
tgenna
自然・環境
春である。庭の蠟梅は、芳香と共に黄色い花を咲かせている。
1月の骨正月の頃から、私は落ち着かぬシーズンとなる。骨正月とは二十日正月 の事で、関東の一部、西日本から九州にかけて行われている行事で、正月の祝いに用意した塩鰤などの骨を、大根などと粕汁にして食べたので骨正月と言う。面白い季語なので記憶していただけなのだが、毎年この頃から節分状の思案をし出すのである。原案を考えまとめて、年賀状に節分状の印刷をお願いし、宛名書きをする。出来るだけ節分当日に配達される様タイムススケージュールに気を使うのだが、今年は3日が土曜日で日曜日は当然に配達も無く、我が思いは意味が無くなり、全ての節分状を2日に投函した。
それぞれの地域に分けれゴムバンドでまとめてポストに投函していたのだが、今年初めて一挙に纏めて節分状を郵便局へ持ち込んだ。担当下さった方から全て年賀状の「年賀」と言う文字を消去しない限り、カウンターでは受けと取れないと言われた。40年を超えてこのスタイルで投函していると抗議をしたのだが、ポストを通せば受け取らざるを得ないのでそうして欲しいと言う。どう見ても不快な御役所仕事、意味の無い不条理である。中央郵便局前のポストに、束を崩して投函した。
2月3日の節分の日に、我がブログにその年の節分状をアップして来たが、配達前の公開も無いだろうと今日は、掲載しない言い訳を綴っていると言うわけである。
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大相撲一月場所
http://tgenna.exblog.jp/29834516/
2024-01-29T12:08:00+09:00
2024-01-31T01:16:54+09:00
2024-01-29T12:08:44+09:00
tgenna
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大相撲一月場所は、横綱照ノ富士の優勝で無事終了したが、13日目の金曜日、熊谷ロ-タリークラブ大相撲観戦移動例会の機会を頂き、一月場所の観戦とその後「割烹吉葉」での懇親会を充分楽しませて頂いた。
大昔、先輩に御案内頂き相撲観戦の記憶はあるが、両国国技館は初めてである。座席は2階椅子B席正面9列41番、眼下に土俵を見る席を頂いた。相撲観戦はテレビがベストと思うのだが、幸い2階後列と言う事で、テレビでは味わえない国技館の巨大な空間を目の当りに出来たし、力士の表情はうかがい知れないものの、公益法人日本相撲協会の運営の様を見る事が出来て面白かった。
国技と言われながらも相撲は、国技館で行われる興行である。現況の評価を獲得するまで、並々ならぬ努力が為されて来た。歴史にその起源を訪ね、意味と価値をデコレーションしながら組織を強化して来た今を、関係者の無駄のないルーティンワークを見る事で充分理解出来たのである。
懇親会場の「割烹吉葉」は、横綱吉葉山の部屋をそのまま料理屋に変えたと言う。店に入ると土俵が鎮座し、それを囲むように客席が設えてある。
吉葉山と鏡里と言う東西の横綱が張り合い、一時代を造った。幼年の頃、高城神社で吉葉山の奉納土俵入りを見た事がある。何故か鮮明に記憶していて、美しい横綱だった。
不思議な楽しい1日を頂いたのである。
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構想博物館と望月照彦博覧会の位相
http://tgenna.exblog.jp/29829522/
2024-01-23T15:34:00+09:00
2024-01-23T17:35:41+09:00
2024-01-23T15:34:05+09:00
tgenna
未分類
望月氏には、私が何者でも無かったころ大いに御交誼を頂いた。残念ながらこの30年御会いする事もなかったのだが、「構想博物館2024」展に配布すると言う冊子に寄稿文を書いて欲しいと望月夫人から依頼を頂いた。一度は御辞退したのだが、強い要請と改めて私と望月氏との縁を振り返る為に、恐縮ながらお引き受けする事にしたのである。
望月照彦博覧会の位相
望月さんから電話を頂いて2022年10月25日、代々木八幡に出向き、御会いした。私達にとって、実に30年振りの邂逅だった。
変わりなく元気な望月さんに無沙汰を詫びて話し始めると、先ずは「時ちゃん」「望月さん」と昔のままに呼び合う事で不安と緊張を越えた。
何気ない近況を語り合う優しい時間は、改めて再会したと言う安堵を得た。
こんな心境での急逝の報は俄かに信じ難く、その日以来私は、不在の望月さんを思い続けている。
私は、望月さんと同じ研究室の後輩で、先輩たちのアトリエにお邪魔した事がある。その時すでに屋台オロジーからマチノロジーへと展開する初期のレポートを建築雑誌「都市住宅」に発表されていたので、望月照彦と言う名を存じ上げていた。グループの中での印象は、寡黙で恬淡としていた。初日は、一言の会話も無いままに終わった事を記憶している。
院生は、良くコンペの手伝要員として借り出された。戦後最大と言われていた芦屋浜のコンペにも参加させて頂いた。準大手ゼネコンが主管をするそのコンペのチームリーダーに可愛がられ、卒業後の就職のお誘いを頂いていた。第1次オイルショックの混乱で就職難の時代に有難い話を頂きながらも決めかねていて、隣の研究室の講師に相談した。後日全日大の学長に成られた氏の「都市の似合う人間は田舎に帰れ」と言う甘言に推され、そのまま父の経営する地方工務店に就職した。
学部を卒業すると間も無く私は、東京を引き上げ地元に戻った。県北の優都と言われていた埼玉の熊谷は、極めて保守的な地方都市で、私達若者の居る場所は無く息苦しかった。空気彩色をテーマに「あとりえ木偶」を立ち上げ、微力ながらも街興しの運動をスタートさせた。効率と有用性を鑑み、地元の地方デパートへのアプローチとフォークやロックを愛する若者達を集め、100組を超える中学・高校・大学生のバンドを組織し、年間50本を越えるコンサートをプロデュースした。この実績を持って当時の八木橋社長に直談判し、3年間の期限を得て当時まだ全国的にも珍しかったライブハウスをデパート旧館地下に「木偶瘖堂」としてオープンさせた。「木偶瘖堂」は、若者達の音楽ムーヴメントのメッカとなり、そこから今日も活躍する「スターダストレビュー」などプロのミュージシャンを輩出している。
私は、運動をメディア化したいと1973年9月「LittlePaper Dec」を発行した。その巻頭言を望月さんに御願いし、これを機に望月さんとの縁がスタートした。
暫くして父は、私達の関係を良しとし、望月さんを我が社の顧問として迎え、細やかながらもパトロネージをしてくれた。こうして望月さんと私、我が社、熊谷との関係性は、強化されて行ったのである。
望月さんが独立して間もない頃、私達は可能な限り時間を共有し、語り合ったものである。様々なプロジェクトにもお誘いを頂き、多くを学ばせて頂いた。時に、よく似た兄弟と間違えられた事もある。
1985年、1年で7冊の書籍を刊行した。この偉大な業績を皆で祝おうと出版記念会の話が持ち上がっていた。当時望月さんに近いドゥ―ハウスの小野貴邦さん、的場オフィスの的場朱美さん、私と3人で先ずは当初の企画会議を開いた。私は、単なる出版記念を越えて「望月照彦博覧会」を提案した。
望月照彦と言う天才は、一つのキーワードを一冊の書籍にまとめ上げてしまう能力を持っていた。とは言え私は、収斂深耕して行かなければならない彼の才能が、拡大拡散し希釈化される事をどこかで恐れていた。7冊の本の出版を祝う事を越えて、これまでの望月照彦の全てを晒す事で、御本人を含め望月照彦を知り出合った多くの方々に正しく認識・評価頂きたいと念じたのである。
この提案を了解頂いた事で、博覧会にするための膨大な作業をこなさなくては成らなくなった。望月組を自認する多くの近しい友人に御参集頂き、10年を超える間の論文、プロジェクト、講演、書籍、テレビ等メディア出演を余すことなく全て洗い出し、資料化する事に尽力した。印刷媒体のデザインは、全てBUSの小熊俊行さんが担ってくれた。
博覧会当日は、まさに博覧会として盛大に盛り上がった事は言うまでもない。北海道から九州まで望月さんと関わった団体・個人から地元の物産を御提供頂き、大物産会が開催された。的場さんお抱えの女優、加賀まりこさんや中田喜子さんらが会場に華を添え、御参集頂いた方々は騒然とした望月照彦博覧会を御堪能頂いたのである。私達は、この盛況に満足した。
望月さんは、御自身も語っている様に、本質的に崩壊感覚を持っていらっしゃる。私の理解では、セルフプロデュースに撤し、幼態変容を繰り返す事で最も自分らしく居る事に拘泥し、そのたびに状況を整序して成長して来たと思っている。
私達の30年と言うロングエブスントも、彼にとっては必然だったのかもしれない。が、この30年の意味を問い、語り合う事はすでに不可能になってしまった。
この度、柳生好彦君を中心に「構想博物館2024」を企画していると言う。「望月照彦博覧会」に相対する位相を持って計画されているとも聞く。私の知らない30年が、構想博物館を通して詳らかに成るに違いない。改めてこの機会に、望月さんとゆっくり語り合いたいと思うのである。
残念ながら私には、望月氏の数々の遺品を通して私の知らない30年余の氏の思想を読み取る事が出来なかった。が、人間の命は限られていて、必ず終焉が待っている。身近な方々を送るこの頃、私の限られた日々をどう生きるか、考えざるを得なかったのである。
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荒川塾句会
http://tgenna.exblog.jp/29827791/
2024-01-22T15:55:00+09:00
2024-01-22T16:39:18+09:00
2024-01-22T15:55:10+09:00
tgenna
俳句
19日、多くの塾生が集い荒川塾句会を開催した。 1998年を初年度に、コロナ禍の中でも休む事無く続けられ、今年は26回目の新春句会となった。通常例会には欠席がちな塾生も、この句会だけは必ず出席下さる方もいて、多くの秀句が集まった。
首席 侘助や妻の遺影は若くなり 如南次席 床の母瞼で拍子盆囃子 舞魚子(まおし)
寒椿猫現れたり隠れたり 舞蛉 年の瀬に溜まるは不義理とダンボール 桜遥 玉砂利や蹴散らしはしゃぐ七五三 空宇海 初詣椋鳥のごとスマホ鳴く 享才 沈黙のロダン冴ゆるやみちを行く 浄華 半島の悲しみの雪今日もまた 泰弥 駅ピアノ大拍手背に高二の秋 楽富 シュシュポポと家路を急ぐ雪催 創考 鍬形を捕りて子に帰るや親父の眼 宝華(ほうか) 縁尋機妙疑ふ寒の片目野良 幻椏
首席3点、次席2点、三席1点としてカウント。 如南氏と舞魚子氏の句が共に8点を獲得した。舞魚子氏は投句のみの参加だったので、ローカルルールにより如南氏の 侘助や妻の遺影も若くなり が首席句と成る。見事に2年続けて、如南、舞魚子両氏がトップを取っている。
どの句にも程良く点数が入り、程良く赤いタックカラーラベルが張られて行く。残念ながら、今年は俳句をと一念発起した私ながら、惨敗だった。 市泉こと田島道夫君が御逝去なされた。行政視察の出張先で倒れ、その後14年間の闘病生活を経て、鬼籍に入られた。極めて優秀、知的な男で、病に倒れる事無く元気に市議会議員として御活躍頂いていたら、熊谷はこれ程の停滞を見なかったと思っている。句会では何時も披講を担当くださり、明瞭な美声で読み上げて下さると駄句も一格上がり、私達は有難い思いをしたものである。
2008年の主席が市泉の句 蟷螂の翅のみ残し恋果てぬ を懐かしく思い出している。 特に熊高PTA会長時代に、深い交わりを持っていたと言う浄華さんは、今回市泉氏への追悼句として御詠みになったと言う。 御冥福をお祈りいたします。
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自画像 描初め
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2024-01-17T15:32:00+09:00
2024-01-17T17:22:46+09:00
2024-01-17T15:32:24+09:00
tgenna
油絵
夕食後小さなアトリエに入り、久し振りに2枚の自画像に加筆した。絵を眺める事はあっても絵筆を握るまでには成らなかったので、思えば油絵の描初めと言う事になるる。
年初め早々の天災とアクシデントと新年の恒例行事に追い立てられて、ゆっくりイーゼルの前に座る気分には成れず居たのである。
F4号の小さなボードに描いた自画像である。厚塗りの絵はそこそこ時間を掛けている事は見て取れるが、薄塗りの方も実は薄塗りなりに幾層も塗り重ねられている。
絵を描き始めて半年が過ぎた。油絵具にも慣れ、そこそこの筆遣いも思い出して来た。が、基本的な物を見る目の不確かさを改めて実感している。自画像と言う極めてリアルな対象である自分の顔であるから、逃れようが無い。描く自画像が自分の顔に似ている必要は無いのだが、先ずは確かなデッサンはマストである。それぞれテーマを決めて手前の顔に向き合うのだが、これが至極難しい。
昨年8月1日から始めて8枚の絵を描いて来たが、12号、20号の4枚の絵にはサインを書き、F4号の4枚の小さなボードには未だサインを書けず居る。この2枚の自画像も、この先画面がどうなって行くのか、私も判らないのである。
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