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節分状 本質のままに時代に遅れ拒否さえしている私は、ふと蓑虫に成ってしまいたいと思うのです。 福は内 鬼は外 福は内 鬼は外 私は油絵を描きだし、妻は編物とパンを焼き、孫の陽以はギター、結衣はフルート、旺輔はサッカーを頑張っています。 2034年2月3日 時田芳文 雅子 #
by tgenna
| 2024-02-05 09:22
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1月の骨正月の頃から、私は落ち着かぬシーズンとなる。骨正月とは二十日正月 の事で、関東の一部、西日本から九州にかけて行われている行事で、正月の祝いに用意した塩鰤などの骨を、大根などと粕汁にして食べたので骨正月と言う。面白い季語なので記憶していただけなのだが、毎年この頃から節分状の思案をし出すのである。原案を考えまとめて、年賀状に節分状の印刷をお願いし、宛名書きをする。出来るだけ節分当日に配達される様タイムススケージュールに気を使うのだが、今年は3日が土曜日で日曜日は当然に配達も無く、我が思いは意味が無くなり、全ての節分状を2日に投函した。 それぞれの地域に分けれゴムバンドでまとめてポストに投函していたのだが、今年初めて一挙に纏めて節分状を郵便局へ持ち込んだ。担当下さった方から全て年賀状の「年賀」と言う文字を消去しない限り、カウンターでは受けと取れないと言われた。40年を超えてこのスタイルで投函していると抗議をしたのだが、ポストを通せば受け取らざるを得ないのでそうして欲しいと言う。どう見ても不快な御役所仕事、意味の無い不条理である。中央郵便局前のポストに、束を崩して投函した。 2月3日の節分の日に、我がブログにその年の節分状をアップして来たが、配達前の公開も無いだろうと今日は、掲載しない言い訳を綴っていると言うわけである。 #
by tgenna
| 2024-02-04 16:20
| 自然・環境
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大相撲一月場所は、横綱照ノ富士の優勝で無事終了したが、13日目の金曜日、熊谷ロ-タリークラブ大相撲観戦移動例会の機会を頂き、一月場所の観戦とその後「割烹吉葉」での懇親会を充分楽しませて頂いた。 大昔、先輩に御案内頂き相撲観戦の記憶はあるが、両国国技館は初めてである。座席は2階椅子B席正面9列41番、眼下に土俵を見る席を頂いた。相撲観戦はテレビがベストと思うのだが、幸い2階後列と言う事で、テレビでは味わえない国技館の巨大な空間を目の当りに出来たし、力士の表情はうかがい知れないものの、公益法人日本相撲協会の運営の様を見る事が出来て面白かった。 国技と言われながらも相撲は、国技館で行われる興行である。現況の評価を獲得するまで、並々ならぬ努力が為されて来た。歴史にその起源を訪ね、意味と価値をデコレーションしながら組織を強化して来た今を、関係者の無駄のないルーティンワークを見る事で充分理解出来たのである。 懇親会場の「割烹吉葉」は、横綱吉葉山の部屋をそのまま料理屋に変えたと言う。店に入ると土俵が鎮座し、それを囲むように客席が設えてある。 吉葉山と鏡里と言う東西の横綱が張り合い、一時代を造った。幼年の頃、高城神社で吉葉山の奉納土俵入りを見た事がある。何故か鮮明に記憶していて、美しい横綱だった。 不思議な楽しい1日を頂いたのである。 #
by tgenna
| 2024-01-29 12:08
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1月20日、目白台の旧細川侯爵邸 和敬塾本館で、昨年6月26日に御逝去された望月照彦氏を偲び送る会に当たる「構想博物館2024 愛に生きよ自在に生きよ」展が開催されていて、参加して来た。 望月氏には、私が何者でも無かったころ大いに御交誼を頂いた。残念ながらこの30年御会いする事もなかったのだが、「構想博物館2024」展に配布すると言う冊子に寄稿文を書いて欲しいと望月夫人から依頼を頂いた。一度は御辞退したのだが、強い要請と改めて私と望月氏との縁を振り返る為に、恐縮ながらお引き受けする事にしたのである。 望月さんから電話を頂いて2022年10月25日、代々木八幡に出向き、御会いした。私達にとって、実に30年振りの邂逅だった。 変わりなく元気な望月さんに無沙汰を詫びて話し始めると、先ずは「時ちゃん」「望月さん」と昔のままに呼び合う事で不安と緊張を越えた。 何気ない近況を語り合う優しい時間は、改めて再会したと言う安堵を得た。 こんな心境での急逝の報は俄かに信じ難く、その日以来私は、不在の望月さんを思い続けている。 私は、望月さんと同じ研究室の後輩で、先輩たちのアトリエにお邪魔した事がある。その時すでに屋台オロジーからマチノロジーへと展開する初期のレポートを建築雑誌「都市住宅」に発表されていたので、望月照彦と言う名を存じ上げていた。グループの中での印象は、寡黙で恬淡としていた。初日は、一言の会話も無いままに終わった事を記憶している。 院生は、良くコンペの手伝要員として借り出された。戦後最大と言われていた芦屋浜のコンペにも参加させて頂いた。準大手ゼネコンが主管をするそのコンペのチームリーダーに可愛がられ、卒業後の就職のお誘いを頂いていた。第1次オイルショックの混乱で就職難の時代に有難い話を頂きながらも決めかねていて、隣の研究室の講師に相談した。後日全日大の学長に成られた氏の「都市の似合う人間は田舎に帰れ」と言う甘言に推され、そのまま父の経営する地方工務店に就職した。 学部を卒業すると間も無く私は、東京を引き上げ地元に戻った。県北の優都と言われていた埼玉の熊谷は、極めて保守的な地方都市で、私達若者の居る場所は無く息苦しかった。空気彩色をテーマに「あとりえ木偶」を立ち上げ、微力ながらも街興しの運動をスタートさせた。効率と有用性を鑑み、地元の地方デパートへのアプローチとフォークやロックを愛する若者達を集め、100組を超える中学・高校・大学生のバンドを組織し、年間50本を越えるコンサートをプロデュースした。この実績を持って当時の八木橋社長に直談判し、3年間の期限を得て当時まだ全国的にも珍しかったライブハウスをデパート旧館地下に「木偶瘖堂」としてオープンさせた。「木偶瘖堂」は、若者達の音楽ムーヴメントのメッカとなり、そこから今日も活躍する「スターダストレビュー」などプロのミュージシャンを輩出している。 私は、運動をメディア化したいと1973年9月「LittlePaper Dec」を発行した。その巻頭言を望月さんに御願いし、これを機に望月さんとの縁がスタートした。 暫くして父は、私達の関係を良しとし、望月さんを我が社の顧問として迎え、細やかながらもパトロネージをしてくれた。こうして望月さんと私、我が社、熊谷との関係性は、強化されて行ったのである。 望月さんが独立して間もない頃、私達は可能な限り時間を共有し、語り合ったものである。様々なプロジェクトにもお誘いを頂き、多くを学ばせて頂いた。時に、よく似た兄弟と間違えられた事もある。 1985年、1年で7冊の書籍を刊行した。この偉大な業績を皆で祝おうと出版記念会の話が持ち上がっていた。当時望月さんに近いドゥ―ハウスの小野貴邦さん、的場オフィスの的場朱美さん、私と3人で先ずは当初の企画会議を開いた。私は、単なる出版記念を越えて「望月照彦博覧会」を提案した。 望月照彦と言う天才は、一つのキーワードを一冊の書籍にまとめ上げてしまう能力を持っていた。とは言え私は、収斂深耕して行かなければならない彼の才能が、拡大拡散し希釈化される事をどこかで恐れていた。7冊の本の出版を祝う事を越えて、これまでの望月照彦の全てを晒す事で、御本人を含め望月照彦を知り出合った多くの方々に正しく認識・評価頂きたいと念じたのである。 この提案を了解頂いた事で、博覧会にするための膨大な作業をこなさなくては成らなくなった。望月組を自認する多くの近しい友人に御参集頂き、10年を超える間の論文、プロジェクト、講演、書籍、テレビ等メディア出演を余すことなく全て洗い出し、資料化する事に尽力した。印刷媒体のデザインは、全てBUSの小熊俊行さんが担ってくれた。 博覧会当日は、まさに博覧会として盛大に盛り上がった事は言うまでもない。北海道から九州まで望月さんと関わった団体・個人から地元の物産を御提供頂き、大物産会が開催された。的場さんお抱えの女優、加賀まりこさんや中田喜子さんらが会場に華を添え、御参集頂いた方々は騒然とした望月照彦博覧会を御堪能頂いたのである。私達は、この盛況に満足した。 望月さんは、御自身も語っている様に、本質的に崩壊感覚を持っていらっしゃる。私の理解では、セルフプロデュースに撤し、幼態変容を繰り返す事で最も自分らしく居る事に拘泥し、そのたびに状況を整序して成長して来たと思っている。 私達の30年と言うロングエブスントも、彼にとっては必然だったのかもしれない。が、この30年の意味を問い、語り合う事はすでに不可能になってしまった。 この度、柳生好彦君を中心に「構想博物館2024」を企画していると言う。「望月照彦博覧会」に相対する位相を持って計画されているとも聞く。私の知らない30年が、構想博物館を通して詳らかに成るに違いない。改めてこの機会に、望月さんとゆっくり語り合いたいと思うのである。 残念ながら私には、望月氏の数々の遺品を通して私の知らない30年余の氏の思想を読み取る事が出来なかった。が、人間の命は限られていて、必ず終焉が待っている。身近な方々を送るこの頃、私の限られた日々をどう生きるか、考えざるを得なかったのである。 #
by tgenna
| 2024-01-23 15:34
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by tgenna
| 2024-01-22 15:55
| 俳句
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